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【映画】『万引き家族』罪で繋がった家族?その絆は、美しくも儚い、罪深くて新しい形の家族だった【守りたいものを守ることは、法で裁けない何かを守ること】感想・レビュー

こんにちは、ぽんです

いつも訪問ありがとうございます

 

今回はタイトルのとおり、『万引き家族』の感想・レビューです

ずっと見たかった『万引き家族』!

前評判はもちろんのこと、純粋に映画のテーマや演技、世界観を楽しめる作品だとかなり期待をして視聴しました

 

結果、「見て良かった作品!後悔がない一本」になりました

外側からでは見えない家族の本当の姿

きっと映画を見終わったとき、あなたの中にも何かが生まれているはずです

 

それでは、どうぞ!

 

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『万引き家族』あらすじ

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『万引き家族』感想・レビュー

シンプルに“日本の縮図”としてのテーマ提起

監督の是枝さんが言っているように、もともとの映画のスタートラインは、親の年金を不正受給する事件から始まっています

ここから派生して、日本が抱えるアンダーグラウンドな問題について、暗に言及しているのが、この映画の表向きなテーマなような気がします

 

映画を最後まで見ていければ分かりますが、登場人物たちはそれぞれに闇というか罪というか、他の人には大声で言えないデリケートな部分を抱えています

大なり小なりありますが、どれもが法に触れるものばかりです

 

映画のタイトルにもあるように“万引き”は、誰もが認める犯罪です

その犯罪を犯すことは明白な悪ですが、それを助長させることも悪です

 

しかし、悪は悪だと思わないと悪になり得ないという意見提起もこの映画のひとつのテーマなような気がします

作中の会話からもあるように「お店にあるものはまだ誰のものでもないから、取ってもいい」「お店が困らないくらいならいい」など、それぞれの悪のレベルが異なります

 

パチンコ屋で隣の席からドル箱を猫ババするのも、旗から見れば悪いことですが、その“悪い”の基準が曖昧であるのを示唆しています

 

さらに、“悪”はあくまでも表に出ないと“悪”にはならないという特性についても映画で大きく触れられています

 

家に隠していた“あるもの”が見つからなかったら?

“慰謝料”の出所が明るみに出なかったら?

“万引き”で捕まらなかったら?

 

どれもがバレなければ悪ではなくただの“行為”にとどまります

大きいものから小さいものまで、私たちが実は目を背けている日本の触れられたくない部分にスポットライトを当てた社会派の映画でした

 

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映画のラストはハッピーエンドだったのか?ラストシーンが意味するものとは?

個人的にはハッピーエンド大好きマンなので、脳内はハッピーエンドに向かっています

 

ハッピーエンドだった場合の考察をすると、それぞれがそれぞれの立場が明るみに出たところで、やはり“あの家族の絆”に居心地を覚えているのは確かだと捉えると、少なくとも彼らはあのつながりを持って、今後の人生を前向きに生きていくと考えられます

 

バスの中で少年が言った言葉は音がかき消されて聞こえませんでしたが、あれはきっと「お父さん」と言ったのだと思います

この布石というか伏線は、至るところにあり、家族みんなで海に言ったときにも「お父さんって言っていいんだぜ」という台詞だったり、おばあちゃんの年金を下ろして帰宅するときにも「お父さん」にまつわる会話がされています

 

直前には、「おじさんに戻る」という会話もあるものの、少年にとっては唯一無二の“お義父さん”という存在になった、そうだと気づいたのだと思います

 

少年は人生を選ぶことができる立場になったものの、それでも“お父さん”は彼にとっては、決まっているのでしょう

いつか、学校を出たらまた一緒に暮らす未来が見えるようです

 

“りん”についても前向きな考察ができます

りんは、元の家族のもとに戻ったわけですが、両親は相変わらずで一人遊びをしているのが最後のシーンです

そしてラストでは意味深にベランダから体を乗り出して何かを見つめていますね

私はこのシーンは、亜希がりんを迎えに来た、もしくはりんが「そうだ、今度は私から会いに行けば良いんだ」とひらめいたようにも思えました

 

今までは、りんは保守的で言葉すら発せられない状況でしたが、後半では足を怪我したショウタのことを報告するために、自ら判断して走り出します

元の家族に保護されたあとでも、母に対してやや反抗的(従属的ではない)行動をとる様子も見られます

 

このことから、りんは自立した存在となり、自分がいるべき場所・いたい場所が決められるようになっていると考えられます

そのため、りんがベランダから今度は自分の意思でどこかに向かう(“万引き家族”の誰かのところ)

 

また、“万引き家族”のうち、亜希は唯一自由である(=りんを迎えに行ける)立場にあると思います

亜希もまた、つながりを求めているのであれば、もしかしたらりんを迎えに行っていたのかもしれません

 

いずれにしても、りんがベランダから覗いた世界が明るいものであることを祈ります

 

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『万引き家族』とは、つまり?

この映画は、テーマやメッセージがとても複雑に絡み合っているので、一概に“これ”ひとつには絞りきれませんが、大きな枠組みで見ると“家族”なのかもしれません

 

どんな形であれ、どんな血縁関係であれ、どんな出生であれ、本人たちが家族だと思えば家族なのでしょう

罪を重ねても、家族や相手を思いやる気持ちがあれば、例え血が繋がっていなくてもそこには家族以上の絆が生まれてくるのです

 

それは、またひとつの愛の形なのでしょう

むしろ、血が繋がっていないからこそ、心の絆が深まっていくというのも、この映画を通してまたひとつ深く実感したことです

 

作中の人物たちは、象徴的に“自己犠牲”で相手を何かしらの方法でかばっているのも印象的でした

あからさまな罪を重ねつつも、完全に登場人物たちを嫌いになれず、むしろ同情というか共感してしまうくらいです

 

例えば、“りん”を例に挙げると、りんは親から明らかな虐待を受けていたわけで、治も言っているように「誘拐ではなく、“保護”」だとすれば、りんを守ったことになります

 

もしかすると、あのときりんを連れていなければ、りんはそのまま亡くなっていた可能性もあります

 

また、百戦錬磨のショウタがスーパーの万引きで捕まったのも、りんをかばっての行動だと考えられます

ショウタはりんに自分と同じようにこれ以上罪を重ねて欲しくない、捕まるのであればりんではなく自分だと自己犠牲の結果が、物語後半で大きく結末を変えていったのです

 

りんやショウタ以外にも、自分以外の人を庇っていると分かるシーンはやまほどあります

 

一般的に考えれば、家族でもない、もはや赤の他人同時だった人をこれほどまでに、人生を代償にしてまでも守れるものでしょうか

そこにはやはり、戸籍上や事実上の家族の絆以上の深いものがあるからこそ、なせるのでしょう

 

家族の形、愛の形、どんな形でも、彼らを決して全否定できない、そんな複雑な心境にさせてくれ、改めて人とのつながりを考えさせられる作品でした

 

同じような系統の作品で、『朝が来る』や『そして、父になる』『八日目の蟬』なんかも素晴らしいですよね

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最後に

以上、『万引き家族』の感想・レビューでした

想像以上に心に深く刺さる作品です

きっと、映画を見終わったあとに、彼らの幸せを願っている自分に気がつくはずです

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます

お楽しみいただけましたら幸いでございます

 

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