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【映画】『ベイビーティース(邦題)』何も起こるはずがなかった少女に起きた人生を揺るがす衝撃【ラスト3分に映画の思いが凝縮される】感想・レビュー

こんにちは、ぽんです

いつも訪問ありがとうございます

 

今回はオーストラリア発の青春恋愛映画『ベイビーティース(邦題)』の感想・レビュー記事です

青春のかけがえのない1ページを鮮やかに彩る作品です

ラストでは涙を流す方もいるのではないでしょうか

 

高校生のミラの身に起こった、“起こるはずがなかった出来事”から始まる物語のラストを見届けてください

それでは、どうぞ!

 

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『ベイビーティース(邦題)』あらすじ

ミラ・フィンレイは末期の病を患っていた。そんなある日、ミラはドラッグの売人、モーゼスと知り合いになった。ミラにとって、自分を病人扱いせず、1人の人間として接してくれるモーゼスはそれだけで有り難い存在だった。当初、ミラの両親(ヘンリーとアンナ)は娘がアウトローと親しくなることを苦々しく思っていたが、娘の幸せそうな姿を見て徐々に態度を軟化させていった。そして、ミラたちに受け入れられたことで、モーゼスの荒んだ心も癒やされていき、更生への道を歩み始めるのだった。 

ベイビーティース - Wikipedia

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『ベイビーティース(邦題)』感想・レビュー

切ないミラの揺れ動く恋心とそれを許さない現実

ミラは末期の病気と言われていますが、作中では特に具体的に病名が出てきたりはしてないんですよね

それに、お医者さんが登場したりはなく、「本当に末期の患者?」と逆にふわふわとさせるのがこの映画の設定のよさだったりします

あまり大々的に「この病です!」と主張しないからこそ、ミラの儚い様子や脆い心情を表しているのだと思います

ミラ自身も自分の気持ちを大胆に出すタイプでもないので、そこが映画の雰囲気を作っていますよね

 

だからこそ、ミラがモーゼスと知りあって、自分の気持ちを外に出すようになったのは、大きな変化だったでしょうし、ミラにとっては、人生が大きく変わった瞬間であったのだと思います

 

ミラがモーゼスへの恋愛心に気づいて、気持ちを伝えたあのビルの上

朝起きてモーゼスの姿が見えなかったときの落ち込み度合いや一緒に過ごせた日々の高揚感は、あまり強くは表現されていないですが、相当のことだったと思います

 

ただ、この作品は美談で終わるわけではなく、最後は切ないラストになりますね

ミラの顔が最後まで見えなかったのは、きっとそれぞれの心の中にいるミラの表情を映すための表現の工夫だと感じました

 

オーストラリア版の『恋愛写真』のような、『世界の中心で愛を叫ぶ』かのような、そんな駆け抜ける恋愛映画だと感じました

 

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音楽が結構秀逸!サントラが欲しいくらい

作中で音楽がたくさん使われるのですが、それがなかなかに秀逸です

お洒落で深みがある音楽が流れて、作品の雰囲気をより盛り上げてくれます

 

そこまで主張がある音楽ではないですが、それがミラの魅力に寄り添っているようにも思えます

ミラが普通に生活をして、あのときモーゼスとぶつからなかったら、決して見えなかった世界が音楽に彩られながら流れるシーンはとても象徴的です

 

とりわけ、ダンスホールのシーンは美しいなと感じました

どこにでもあるチープなクラブの場面なのですが、スポットライトやカラフルなネオンがそれまでのミラの穏やかで平凡だった世界と対照的に映り、ミラの世界に色づいたキャンパスのようです

 

派手な主題歌があるわけではなく、もともと舞台作品が映画になったものなので、音楽以外にも日常生活の効果音なども美しく響いているように思えます

 

ドテカイアクションだったりイベントがある映画でなく、どちらかと言えば単調に近い作品なので、飽きてしまう人もいるかもしれませんが、派手な映画が全て面白くて魅力的ではないと教えてくれた作品でもありました

 

そして、映画は最後まで見ないと魅力が分からない

それを改めて知らされる作品でもありました

 

ラストに衝撃と鳥肌が立った作品と言えば、『朝が来る』はなかなかに秀逸たったので、よかったらどうぞ

家族愛の話ですが、いいですよ

 

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“ベイビーティース”の意味とは?ミラは幸せだったのか?

タイトルの意味を考察するのが、好きです

『ベイビーティース』でも、考察をしてみたいと思います

 

まず、直訳すると“ベイビーティース”は、日本語では乳歯ですよね

乳歯は子供から大人に変わるときに生え変わる歯のことを差します

この意味から考察するに、ミラはモーゼスとの出会いで少女から女性へと成長したということを示唆しているとも考えられます

 

この象徴的なシーンかは別途検討が必要ですが、映画冒頭でお母さんとお父さんが大人の時間を過ごしていたのを覚えている視聴者は多いと思います

大人になると“そういう行為をする”と考えれば、作品後半でモーゼスとミラが最終的に“そういう行為をする”ことも大人への一歩とも捉えることができます

 

また、“親からの自立”もひとつの裏テーマかもしれません

子供=親の支配下にある、ある一定度のコントロールをされている存在です

それが、ミラは今まで親の言われることにある程度従順だったのが、反抗的な態度を取ったりするようになり、親からの自立としの“ベイビーティース”という考えもできます

 

さらに考察を深めると、“ベイビーティース”は相対的なミラの解放にもつながると思えます

映画冒頭で、ミラにはまだ乳歯が生えている事実が明かされます

これが末期の病の症状のひとつなのかは私には分かりませんが、少なくともわだかまりだったのは言えるでしょう

それが抜け落ちたということは、ミラは病から解放されて自由になるという表現をされているのかもしれないとも思いました

 

病からの解放は、結果として家族には大きな変化をもたらしてきましたが、ミラはモーゼスと交わる前に“お願い”をするのですが、つまりはそう言うことなのでしょう

ミラは自分の生き方を決めることができないことを知っていたのです

 

ただ、最終的に全てから解放されて、病からも解き放たれ、モーゼスに対する家族の態度も代わり、モーゼスも弟(母親とも?)とも和解したわけです

 

映画後半でトイレに起きたミラが鳥について言及するシーンがありますが、ここは映画終盤で「私は空の一部になる」と言っていることに少なくともリンクすると感じました

不器用に鳴く鳥=不器用に生きる自分と重ね合わせ、そして旅立っていったのだと思います

 

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最後に

以上、『ベイビーティース(邦題)』の感想・レビューでした!

派手な展開ではないものの、だからこそ各映画のシーンに目が行く素敵な作品でした

ミラとモーゼスのぱっと燃え上がるような、乳歯が水の入ったコップの中を落ちるようなそんな恋の作品でした

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます

お楽しみいただけましたら幸いでございます

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