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雑食系のブログです。ミニマリスト、ゼロウェイスト、アニメ、ブログ作成のポイント、イラストなど。うだつの上がらないブロガーたち、自分に向けて書いています。箸休めになれば幸いです。

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物の必要性を考える:暮らしを見直す(15日目)

こんにちは、2児育児+ワンコ1匹の基本テレワークで日々あがいているぽんです。いつも訪問ありがとうございます(ブックマーク・スターもありがとうございます)。ブログ更新の励みになっています


今日の断捨離:割れた100円ショップの味噌汁茶碗

最近、家の中を見渡しては「これって本当に必要かな?」と問いかけることが増えました。子どもが生まれてからというもの、物は増える一方。おもちゃ、ベビーグッズ、衣類、書類、日用品、思い出の品……。気づけば部屋のあちこちに“とりあえず置いたもの”があふれていて、心の中まで散らかっているような気持ちになることもあります。

そんな日々の中で、今日はひとつ、大きな決断(?)をしました。

それは、ずっと「だましだまし」使っていた、100円ショップで買った味噌汁茶碗を捨てること。

たったひとつの小さなお椀。でも、その断捨離には、思いのほか深い意味がありました。


少しだけ割れていたけど、使い続けていた

この味噌汁茶碗は、数年前に100円ショップで購入したもの。シンプルなデザインで軽く、扱いやすかったので、なんとなく日々の食卓に使っていました。

あるとき、ちょっとした不注意で端っこが欠けてしまいました。でも、まだ使えないことはない。口に当たる部分ではないし、スープが漏れるわけでもない。100円だったし、壊れたといってもほんの少しだし……。

「もったいない」という気持ちが先に立って、処分するという選択肢はありませんでした。

どこかで「買い替えるのはまた今度でいいや」と思いながら、そのままずるずると使い続けていたのです。


「潔さ」が欲しかった

でも、ふとした瞬間に、「ああ、私って潔くないな」と思ったんです。

割れているのを知っていて使っているということは、いつかそれが完全に壊れる可能性を抱えながら使っているということ。食卓に並べるたび、「この茶碗、少し欠けているな」と小さな違和感を抱えている。その違和感が、知らず知らずのうちに日常の“質”を下げていたのかもしれません。

そしてもうひとつ気がかりだったのが、「子どもが怪我したらどうしよう」ということ。

少し割れた陶器というのは、見た目以上に危ない。角が鋭くなっていることもあるし、洗っている最中に手を切ってしまうこともある。子どもが誤って触れてしまったらと思うと、それはもう“節約”や“もったいない”の話ではない。

ようやく、そのことに向き合うことができました。


「おもちゃにする」という誘惑

処分しようと思ったとき、ふと頭をよぎったのが、「おままごと用にしようかな」というアイデア。子どもは今、おままごとが大好きで、日用品を模したおもちゃを夢中になって使っています。

この茶碗も「おもちゃ」としてなら役に立つのでは? と、一瞬思いました。

でもすぐに、「待てよ」と立ち止まりました。

たとえ遊び用でも、割れている以上、やっぱり安全とは言えない。小さなひびが広がって破片が飛ぶことだってあるし、なにより“本物の食器”を遊びに使うこと自体、まだ危ない年齢です。

何より、「子どもに与えるもの」は、安全で安心できるものであってほしいという自分自身の思いがありました。だから、「おもちゃにしよう」という考えはすっぱり捨てることにしました。


「ありがとう」と言って手放す

その日の夜、食器棚を整理しながら、例の茶碗を手に取って、ゆっくりと見つめました。

欠けてはいるけれど、今まで毎日、味噌汁を注いできた茶碗。寒い日には熱々の具沢山味噌汁をよそって、家族の心と体を温めてくれた存在。何気ない日常の中で、黙々と役目を果たしてくれた小さなお椀。

「今までありがとう」と心の中でつぶやいて、ごみ袋にそっと入れました。

たったそれだけのことなのに、心の中に風が通ったような、そんな感覚がありました。


捨てることで得られる「余白」

断捨離をすると、物理的なスペースが空くのはもちろんですが、それ以上に「心の余白」が生まれると感じます。

ずっと気になっていたけれど、見て見ぬふりをしていた物。それを手放すことで、自分自身の「見えないストレス」がひとつ、解消される。

そして、そういう「見えないストレス」って、実は意外と日常のパフォーマンスや心の状態に影響しているんですよね。

物が減ると、探し物の時間も減る。掃除もしやすくなる。選択肢が絞られて、決断のスピードが上がる。小さな“心のつかえ”が取れることで、生活がほんの少し、軽やかになる。


子育て中の断捨離は「今」に向き合うこと

私はいま、子育て真っ最中です。子どもが小さい今は、どうしても家の中が散らかりがち。時間も、余裕も、すぐになくなる。つい、後回しにしてしまうことばかり。

でもそんな中で、1日にひとつでも「手放すもの」を見つけていくのは、自分自身と向き合うひとつの手段なのかもしれません。

今日は「欠けたお椀」を手放したけれど、それは「後回しにしてきた決断」と、「子どもの安全を守りたいという思い」と、「もう一度、暮らしを見直そうとする自分」に向き合う行為でもありました。

大げさかもしれませんが、「たかが100円、されど100円」。その小さな茶碗が、私に教えてくれたことは、とても大きかったように思います。


最後に:迷ったら「いま、使っているか?」で考える

もし、あなたの家にも「なんとなく手放せないもの」があるとしたら、こんな問いかけをしてみてください。

「それは、いま、あなたの生活に必要ですか?」
「誰かに安心して使ってもらえますか?」
「それを持っていることで、あなたは幸せですか?」

答えがすぐに出なくても大丈夫。少し時間を置いて、それでも「うーん……」と迷いがあるなら、それはもう、手放すタイミングなのかもしれません。

断捨離とは、「捨てること」ではなく、「今の自分に必要なものだけを残すこと」。そしてそれは、未来に進むための、小さな準備でもあります。

今日もまた、ひとつ身軽になれました。

明日はどんな「手放し」があるだろう。
そう考えると、日常がほんの少し、楽しみになります。

 

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