18:30こんにちは、2児育児+ワンコ1匹の基本テレワークで日々あがいているぽんです。いつも訪問ありがとうございます(ブックマーク・スターもありがとうございます)。ブログ更新の励みになっています
今日の断捨離:股に穴の空いたレギンスにさようなら
今日はひとつ、大きな断捨離をしました。
捨てたのは、黒いレギンス。
ずいぶん前から愛用していた、私にとって冬の定番アイテムのひとつでした。けれど今日、ふとクローゼットから取り出してみて「もういいかな」と思えたんです。
穴が空いても捨てられなかった理由
このレギンス、実はだいぶ前から股の部分に穴があいていました。初めて気づいたのは去年の冬。でも寒かったし、その時はまだまだ履けると思ったんです。
コートの下に着るだけだから、人に見られるわけでもない。洗濯してもすぐ乾くし、何より履き心地が良くて、冬場は本当に重宝していました。
だから、「穴が空いてるけど、まだいける」「見えない場所だし問題ない」と、自分に言い訳をしながら着続けていました。
今日、なぜか「捨てよう」と思えた
今朝、何の気なしにクローゼットを開けたとき、奥の方に丸めて突っ込んであったこのレギンスが目に留まりました。少し寒かったので、「ちょっと履こうかな」と手に取ってみた。
けれど、いざ広げてみると、股の穴が以前よりも大きくなっていたんです。指がすっぽり入るくらいのサイズになっていて、もう誤魔化せるレベルではありませんでした。
その瞬間、なぜだか分からないけれど、心の中で「ありがとう、もう手放していいや」とスッと決断できたんです。
手放すタイミングは、意外と突然やってくる
モノを手放すときって、理屈じゃないのかもしれません。
ずっと捨てられなかったくせに、ある日突然「いまがその時」と思えてしまう。
しかも、今日は特に片付けの日と決めていたわけでもなく、他に何かの整理をしていたわけでもありません。ただ、クローゼットから目に入っただけ。それなのに、「この子とはもうお別れしよう」と思えた自分に、少し驚きました。
思い出が詰まっていたわけではない、でも…
このレギンスに特別な思い出があるかといえば、そうでもありません。旅行に行ったわけでも、大切な人に会ったわけでもない。むしろ、普段使いで毎日のように履いていた、生活に溶け込んだ存在でした。
でも、だからこそ、気づかぬうちに生活の支えになってくれていたのだと思います。寒い日に、このレギンスを履いて出かけることで、ほんの少し安心できた。冷たい風の中でも、肌を包んでくれていた。そういう、静かで地味な支えって、意外と大きいですよね。
「まだ使える」は、手放すタイミングを逃す魔法の言葉
「まだ使える」って、手放すタイミングを引き延ばす魔法の言葉です。
着られるから、捨てるのはもったいない。見えない部分だから、問題ない。そうやって理由をつけて、使い続けてしまう。
でも、気づいたんです。
「まだ使える」ものに囲まれていると、本当に「今使いたい」ものが見えにくくなるということに。選択肢が多すぎると、選ぶ力が鈍ってしまう。そして、自分が本当に好きなものや、心地よさを感じるものが分からなくなってしまう。
「お気に入りの予備」ではなく「お役目終了」に感謝を
今回のレギンスは、正直「お気に入りの予備」ポジションでした。寒い日のストックとして、いざというときのために取っておいた。でも、よく考えると「いざというとき」は、あまり来ないんですよね。
むしろ、いざというときに限って「これ履くのちょっと恥ずかしいかも…」と結局使わなかったり。
だったら、ちゃんと役目を終えてくれたこのレギンスには、「お疲れさま」と言って、手放してあげたほうが、モノにとっても私にとっても健全なのかもしれません。
捨てることは、過去の自分に別れを告げること
レギンスを手放して感じたのは、「いまの自分を優先してあげたい」という気持ちです。
過去の「とりあえず履ければいい」「寒さをしのげればいい」という思考から、いまは「自分が気分良く過ごせるものを選びたい」気持ちにシフトしているのを感じました。
その変化に気づけただけでも、今日の断捨離はとても意味があったなと思っています。
最後に。モノに感謝する気持ち
この黒いレギンス、本当にありがとう。
あなたがいてくれたおかげで、冬の寒さもずいぶんやわらぎました。
たくさん着て、たくさん洗って、もう限界まで頑張ってくれたよね。
だから、もう十分です。安心して手放せます。
また新しい、気持ちのいい一着と出会う準備が整いました。
今日の断捨離は、そんな未来への一歩でもあったのかもしれません。
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