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【日本三國】「泣いて弥々吉を斬る」の由来となった「泣いて馬謖を斬る」の由来・意味

こんにちは、2児育児+ワンコ1匹の基本テレワークで日々あがいているぽんです。いつも訪問ありがとうございます(ブックマーク・スターもありがとうございます)。ブログ更新の励みになっています。

今回は、エピソードタイトルにもなったあの有名なシーンである「泣いて弥々吉を斬る」の由来となった「泣いて馬謖を斬る」の由来・意味、そして『日本三國』にも通じる軍師の覚悟について解説します。

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「泣いて馬謖を斬る」とは?

中国史や三国志が好きな人なら、一度は聞いたことがある「泣いて馬謖を斬る」という言葉。現代でもビジネスやスポーツの世界で使われる有名な故事成語ですが、その背景には軍師としての苦悩と組織を守るための非情な決断がありました。

「泣いて馬謖を斬る」とは、『大切な部下や信頼している人物であっても、規律や大義のために厳しく処分すること』を意味します。

特に、

  • 情よりも組織を優先する
  • 私情を捨てて決断する
  • 信頼していた相手に責任を取らせる

という場面で使われます。

現代で言えば、「長年一緒に働いてきた部下だが、不正をしたため処分しなければならなかった」というような状況です。(自分ごとで考えると本当に胃が痛い想いになります。使う日が来ないこと切に願う言葉です。)

 

泣いて馬謖を斬る - Wikipediaja.wikipedia.org
 

「馬謖」何者だったのか?

馬謖 - Wikipedia

馬謖(ばしょく)は、三国時代の蜀に仕えた武将・政治家です。蜀の名軍師である 諸葛亮(孔明)から非常に高く評価されていました。

馬謖は知識が豊富で弁舌にも優れ、「将来の蜀を支える逸材」として期待されていた人物です。

しかし一方で、実戦経験はそれほど多くありませんでした。

実は蜀の初代皇帝である 劉備 は生前、

馬謖は口先だけで実力以上に語るところがある。
重要な任務は慎重に任せよ。

という趣旨の言葉を残したと伝えられています。

馬謖 - Wikipedia

悲劇の始まり「街亭の戦い」

西暦228年。諸葛亮は魏への大規模な北伐を開始しました。その際、補給路の要衝である「街亭(がいてい)」の防衛を馬謖に任せます。

ところが馬謖は、諸葛亮から「山には登らず街道を守れ」と命令されていたにもかかわらず、

独断で山頂に陣を築いてしまいました。一見すると高所は有利に見えます。しかし魏軍は山を包囲し、水源を断ちました。結果として蜀軍は壊滅。北伐全体が失敗に終わる大敗北となってしまいます。

なぜ孔明は馬謖を処刑したのか

戦後、諸葛亮は軍法会議を開きました。馬謖は敗戦の責任者でしたが、諸葛亮にとっては最も期待していた弟子のような存在です。当然、多くの部下たちは助命を願いました。

しかし諸葛亮は処刑を決断します。理由は単純でした。

軍の規律を守るため

もし馬謖だけを特別扱いすれば、

  • 命令違反が許される
  • 軍法が機能しなくなる
  • 組織の統制が崩れる

という問題が起きます。

どれだけ才能があろうと、どれだけ信頼していようと、軍のルールは全員に平等でなければならなかったのです。


「泣いて」の意味

この故事で重要なのは、諸葛亮が喜んで処刑したわけではないという点です。(歴史は難しい)

処刑の日、諸葛亮は涙を流したと伝えられています。失敗した部下への怒りではなく、

  • 自分の期待が裏切られた悲しみ
  • 人材を失う惜しさ
  • 任命した自分の責任

そうした複雑な感情があったのでしょう。

だからこそ、単なる「処罰」ではなく、「苦しくても正しい決断をすること」を意味する故事として現代まで語り継がれています。

『日本三國』との共通点

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『日本三國』には、国家の未来のために個人を切り捨てる決断が数多く登場します。

特に軍師や指導者たちは、

  • 仲間を犠牲にする
  • 感情より結果を選ぶ
  • 国益を優先する

という選択を迫られます。

これはまさに「泣いて馬謖を斬る」の精神そのものです。

例えば賀来泰明のような軍師が同じ状況に置かれた場合、仲間を守りたい気持ちと国家の未来との間で葛藤するでしょう。

優れた軍師ほど冷酷なのではなく、本当は情があるからこそ苦しみながら決断する。

そんな姿が三国志にも『日本三國』にも共通して描かれています。

 

泣いて弥々吉を斬る」の意味

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「日本三國」では特にこの「泣いて弥々吉を斬る」もとい「泣いて馬謖を斬る」が色濃く反映されており、さらには聖夷軍師の閉伊弥々吉や総帥の輪島桜虎、息子たちなどの気持ちが大きく揺れ動く出来事となりました。

閉伊弥々吉は全ては輪島桜虎や聖夷、そして亡くなった輪島桜虎の父の無念を晴らすために必死だったのだと思います。そして迎えた大チャンス。この機会を逃す手はない。しかし、相手も強い。かつて輪島桜虎の父を追いやった龍門辺境将軍とその軍師賀来泰明です。

さらには龍門光秀は、空城の計で起死回生で自らのその身を投じます。

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戦いは誰が勝つか分かりません。あるのは天命のみ。しかしながらゆく先々を見据えた閉伊弥々吉は輪島桜虎の身を案じて、”妙案”にてこの場を切り抜けたのでした。

「泣いて馬謖を斬る」の意味通りに捉えると、確かに規律に違反した(とでっちあげた)ことや夜襲をかけたことに対する罪はあります。しかし、それでも閉伊弥々吉に全ての罪があるわけではないことを輪島桜虎や読者は知っています。けれども、その罪は自分にあるのだと閉伊弥々吉は自分自身を律したのが、「泣いて弥々吉を斬る」事件なのでした。

そして「泣いて馬謖を斬る」と異なるのは、実際に諸葛亮孔明は涙を流さなかったかもしれませんが、輪島桜虎はあの雨に打たれながら、絶対に涙していたことです。

小さい頃から自分のそばにいてくれた存在。自分のことを「虎ちゃん」と親しみを込めて呼んでくれる唯一の人。それに自分の手でことを下さないといけない時に、そんな人を涙なしには通れません。さらには、輪島桜虎は情に熱い存在。降伏賛成派の大統領を処刑する時ですら涙していたのです。他なぬら閉伊弥々吉の時に、泣かないわけはないのですが、もしかすると悲しすぎて涙すら出ないのかもしれません。それでも心の中は大洪水だったのは間違いないでしょう。本当に辛いシーンでした。

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最後に

「泣いて馬謖を斬る」とは、大切な部下や信頼する人物であっても、組織や大義のために厳しく処分すること。その由来は、諸葛亮が愛弟子の馬謖を軍法に従って処刑した故事にあります。

この言葉が2000年近く語り継がれているのは、単なる厳しさではなく、「情と責任の間で苦しみながら決断する指導者の覚悟」を象徴しているからでしょう。

『日本三國』を読んでいる人なら、この故事を知ることで、軍師たちの決断の重みをより深く理解できるはずです。

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