【映画】「us(アス)」突如現れたドッペルゲンガー、彼らの目的・主人公の過去に隠された意味は?

こんにちは、2児育児+ワンコ1匹の基本テレワークで日々あがいているぽんです。いつも訪問ありがとうございます(ブックマーク・スターもありがとうございます)。ブログ更新の励みになっています。
今回は、「us(アス)」の感想記事です。
「us(アス)」はオスカー賞をゲットしたジョーダン・ピエール監督の「GET OUT」の次回作です。
期待(想像)しているよりは不気味で怖かったです。不気味の方が強いかな…。でも見応えや考察要素は十分にあり、楽しめました!では、感想です、どうぞ。
概要

1986年の夏、アデレード・ウィルソンは、両親とともにサンタクルーズにある行楽地を訪れる。ビーチに建てられたミラーハウスに迷い込んだアデレードは、そこで自分にそっくりな少女と出会う。ミラーハウスから戻ったアデレードは、トラウマにより失語症となる。
スポンサードリンク
感想・まとめ

一般人の私がうだうだ書いてもしょうがないのですが、監督がバッチリこの映画のテーマについて回答を出してくれてます。主題は”差”です。
アメリカでは貧困問題だったり、裕福差だったりが深刻な問題となっています。それを象徴的に描いたのはこちらの作品です。
個人的にはアメリカの貧困差などを描くには、あまり貧困の差などは印象に残らなかったです。主人公の旦那さんが安物のボートを購入して、一方では白人の友人は新車を買うなどのシーンはありましたが、ここでもそこまで大差は感じられないです。(主人公も十分に幸せな生活をしていますからね)
本作の主題
本作に関しては様々な角度から分析がなされているが[6][7]、ピール監督は本作について「『アス』における主題の一つは、我々が特権に与れない人々の存在をすっかり無視できるということなのです。私たちが享受するに値すると思っているものは、他者の自由や幸福の犠牲の上に成立しているのです。アメリカ合衆国のような、特権を享受する党派的な存在がなし得る最大の害悪は、自分たちが特権に値する人間だと思い込んだり、特権に与れるのは良い場所に生まれたという幸運によるものではないと考えたりすることなのです。私たちが特権を保持しているとき、他の誰かはそのために苦しんでいるのです。つまり、苦しむ人間の存在と富を享受する人間の存在は表裏一体なのです。この点において、クローン人間たちの決起は最も心に響くものになっていると思います。観客の皆さんには、この事実を決して忘れて欲しくないのです。我々は恵まれない人たちのために闘う必要があります。」という趣旨のことを述べている[8]。
それ以上に感じたのは、やはり“裏の存在”ってやっぱりあるのだということ。何においても、世の中って二極化するんだなと思うのです。
世界の大富豪と呼ばれる方々(別に彼らを悪く言うつもりは到底ないですが)、彼らが世の中の資産をほぼ持っているようです。つまり、差がかなりあるってことですよね。
この点はとても監督のテーマに似ていて、“誰かの幸せは、誰かの不仕合わせの上に成り立っている”のが分かります。
本作では、ドッペルゲンガーの幸せが地上の人間に搾取されていると言われていました。というか、純粋に羨ましかったんでしょうね。彼らは彼らなりの幸せを探すことができれば良かったのでしょうか、それはあの環境下では厳しいです。そうした環境で自分の未来が左右されることも、監督は伝えたかったのではないかなと思います。
少し前“親ガチャ”とか言われていた時代がありましたが、やはり環境が影響するものはあります。お金や人脈など、環境で解決できることもありますが、持たざるものはゼロから作り上げるしかない。そんな切ない社会へのメッセージとも受けました。
個人的に好きなシーン
社会性がある側面、少しコメディタッチなところもこの映画が好きなところです。
メキシコに行こうと提案する母と父が話し合うシーンでは「ホームアローン」が出てきますよね。個人的にこのシーン好きです。「ホームアローン」を知らない人には子どもたちと同じように「“ホームアローン”って何?」というように、「ホームアローン」を知っている人には、泥棒との攻防が浮かぶことでしょう。そして、ドッペルゲンガーがたくさんのミニカーの上で転ぶシーンを想像した人もいるかもしれませんが、そんなシーンは本作では出てきませんでしたね。(笑)
手を繋ぐドッペルゲンガーの意味
作品でも象徴的な赤い人々が手をつないでいるシーンですが、これは前作の「GET OUT」を思わせますよね。
CMのひとつとして、“飢餓や貧困に立ち向かうために”というニュアンスで流されたCMがこんなところに繋がるとは。関連作を見る醍醐味を味わえます。
個人的な解釈はいろいろあるのですが、まずは
- 不気味さを助長
- 社会は繋がりでできている
- 国境や何かしらボーダーを恣意的に表現
こんなところでしょうか。
アメリカでは移民問題としてメキシコとの関係もひとつ課題としてあると思っています。
社会問題に疎くて解釈が浅いのですが、そうした側面にもメッセージを何らか発信しているのでは?と感じてしまいました。(勉強してからまた見ます)
前作のつながりで思い出したのは車のシーンです。家族で歌を歌いながら(リズムを取りながら)のシーンですが、前作の「GET OUT」だと鹿がぶつかってきましたよね。本作でも「何かぶつかるのか?!」とワクワクしていましたが、このシーンではぶつかることはなく、後半で人(ドッペルゲンガー)がぶつかりましたね。
まるでサイレントヒルなバイオハザード
そしてそして、個人的におすすめなのが、後半戦の遊園地の地下に行くシーンです。息子が連れ去られてしまい、助けにいくところですが、ここが本当にゲーム「サイレントヒル」です。霧があれば完全にサイレントヒルでした。
道中のエレベーターのシーンとか、階段を下るシーンとか、最下層についたときのあの白くてがらんどうな感じとか、まさにサイレントヒルです。
無下に興奮してしまいました。(笑)
そして、物語全体はバイオハザードです。グロもありますが、まさにバイオハザード。
どこかにアンブレラ社が出てくるのではと思うくらいに死なない敵と戦うシーンの続出で、いかにも(?)海外でウケそうな作品でした。
スポンサードリンク
11節11章が持つ意味とは?

さて、この作品でどんな意味があるのか、「11章11節」
日本人にはあまり聖書というものがそこまで馴染みがあるものではなく、むしろ映画や文化が接触点となることが多いのではないでしょうか。キリスト教を信仰する方や海外ではこういう引用をされたときに「あぁ、そういうことね」と阿吽で理解されるんですかね?
ただ、聖書がモチーフになったり、引用されることが多いので、やはり学んでおきたいと思うこの頃です。
さて、本作ではどんな聖書の出方をしたかというと、冒頭早々に段ボールで「11章11節」と書かれた紙を持つ長髪の男性。遊園地にその雰囲気はまさに違和感なので、見た人の印象に刻まれたこと間違いなしです。
そして、この長髪の男性は主人公が大きく成長したときに救急車で搬送されるシーンも象徴的に描かれています。まさにこの映画の戦いの幕開けと言ってもいいでしょう。
さらには、主人公の息子ジェイソンがビーチのトイレのあとに見た姿だったり、物語ラストでも出てきます。
見た目の特徴から、イエス・キリストを模しているのかななんて浅はかな解釈です。
11 それゆえ主しゅはこう言いわれる、見みよ、わたしは災わざわいを彼かれらの上うえに下くだす。彼かれらはそれを免まぬかれることはできない。彼かれらがわたしを呼よんでも、わたしは聞きかない
前置きが長くなりましたが、新書との関わりですが、個人解釈ですとドッペルゲンガー側のボス(主人公の裏)が仕返しをするよ、というのを伏線で敷いていたという安直なものです。
この主人公ですが、実は“裏側”の存在だったという衝撃的なネタバラシをされます。これは盲点とというか、この映画最大の見所です。
もともとの世界を奪われた元表側の存在ですが、クーデターというか逆襲を考えるのは自然です。
だって自分の幸せが奪われたんですから。つまり、これをいまの社会構造にならうと、裏の世界の存在がいつ逆襲してきてもおかしくはないという警鐘なのかもしれません。
幸せな日々が一転、何も分からないとんでもないところに入れられ、食べるものはウサギの血?という狂喜じみた世界です。
話がたどたどしくなるのも無理はないです。トラウマとかそういうものです。
ちなみに、ウサギは聖書では「汚れたもの」「食べてはいけない」とされているようです。そのウサギを食べるということは、禁忌をおかすということ。しかし、人々は、とりわけ裏側の人々=富を与えられなかった人々は、“生きるために罪をおかさないといけない”ということです。
そんなウサギですが、イースターなどでは「誕生」や「生命」のイメージだそうで、面白いですよね。
さらには、主人公の元表側は知性がありました。それは人造人間しかいない裏側では“特別”なことです。知性があることで、反逆を試みたり、思考を深めることができます。つまり、ここでもメッセージとして、“知性があれば逆境をはね除けられる”とも監督がメッセージとした伝えたかったのではないでしょうか。
聖書の引用として、“剪定ばさみ”もそうです。聖書のうわずみだけをみると、剪定ばさみは昔農夫たちが持つ戦いの武器と言われていたようです。まさに逆境を企むドッペルゲンガーたちの武器にぴったりです。
他にも詳しくみると興味深く考察できそうです。
スポンサードリンク
最後に
以上、「us(アス)」の感想記事でした。中盤の戦いシーンが長かったですが、総評としては面白い作品でした。
ラストのオチも、「ママの正体ってやばいやつやん…」と息子が知るあの顔が作品の質をぶち上げています。息子がマスクを被ったのは、「これからママと戦う」のか「別の自分になる」のか、考え深いです。
また、改めて洋画と聖書との深い関係を感じて、また勉強したいと思いました。昔見た大好きな「プラットフォーム」も聖書もりもりの映画なので、考察を深めて行こうと思います。
スポンサードリンク