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見てはいけなかったかもしれない映画――それでも、今だから見られた 映画『自殺サークル』解説・感想

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見てはいけなかったかもしれない映画――それでも、今だから見られた 映画『自殺サークル』解説・感想

自殺サークル : 永瀬正敏 / 園子温 | HMV&BOOKS online - DABY-27

結局「自殺サークル」とは何だったのか

映画『自殺サークル』というタイトルを初めて目にしたのは、小学生の頃でした。レンタルショップGEOの棚に並ぶ、異様に赤く、どこか不気味なパッケージ。その横には、当時の自分には理解できない「R指定」のマーク。
なぜか強く印象に残り、「これは見てはいけないものだ」という直感だけが心に残りました。

それから数十年。大人になり、ホラー映画もスリラーもある程度見てきた今、ようやくこの作品を再生しました。
そして思いました。
あの時、見なくて本当によかった。
もし小学生の頃にこの映画を見ていたら、間違いなくトラウマになっていたと思います。

『自殺サークル』は、単なるショッキングな映画ではありません。観る側の心に「理解できないもの」「答えのない問い」を無理やり突きつけてくる、非常に意地の悪い作品です。だからこそ、今になっても語られ続け、賛否を分けるのだと思います。


あらすじ――説明できそうで、説明できない物語

物語は、東京の駅で起こる衝撃的な集団自殺シーンから始まります。
女子高生54人が手をつなぎ、電車に飛び込む。理由は一切語られません。

その後も、全国各地で不可解な自殺事件が連続して起こります。共通点は見当たらず、遺書もなく、犯人もいない。警察は捜査を進める中で、「自殺サークル」と名乗る存在の影を感じ取り始めます。

事件と並行して描かれるのが、謎のウェブサイト、袋に詰められた皮膚の断片、そして妙に軽薄でポップな雰囲気をまとった少年たち。
シリアスな題材とは裏腹に、画面はどこか不穏な明るさを保ったまま進行していきます。

しかし、この映画は「謎を解く」タイプの作品ではありません。
物語は進めば進むほど、説明されないことが増え、観客は置き去りにされていきます。


結局「自殺サークル」とは何だったのか?

この映画を観終えた人の多くが、必ず抱く疑問があります。
結局、自殺サークルって何だったのか?

明確な答えは、作品の中で一度も提示されません。
しかし、いくつかの解釈は浮かび上がってきます。

① 実体のある組織ではない

まず、「自殺サークル」という具体的な団体や組織が存在していた可能性は低いです。明確なリーダーも、目的も、構造も示されません。
むしろこの言葉は、警察や大人たちが「理解できない現象」をまとめるために便宜的につけた名前に近い印象を受けます。

② 感染する“空気”や“ムード”

この映画で描かれる自殺は、強制されたものではありません。誰かに命令された描写もほとんどありません。
代わりに存在するのは、「なんとなくそうしてしまう空気」です。

周囲が死んでいる。
ニュースで流れている。
ネットで話題になっている。

それだけで、人は簡単に引き寄せられてしまう。
自殺サークルとは、社会に蔓延した死への感染症のようなものだと考えることもできます。

③ 「つながり」を失った社会そのもの

作中では何度も「あなたは世界とつながっていますか?」という問いが投げかけられます。
皮肉なことに、集団自殺という行為は、最も歪んだ形での「つながり」です。

誰かと一緒でなければ生きられない。
でも、生きる意味は見つからない。
ならば、死ぬことで一体になろうとする。

自殺サークルとは、孤独を抱えた人間たちが、最後に選んだつながりの形なのかもしれません。


怖いのは、グロ描写よりも「軽さ」

『自殺サークル』には確かにショッキングな映像があります。しかし、本当に怖いのはそこではありません。

この映画が恐ろしいのは、
死がやけに軽く、ポップに扱われていることです。

登場人物たちは、深刻な表情を浮かべながらも、どこか現実感がありません。音楽も演出も、妙に明るく、軽やかです。
まるで「死ぬこと」が、日常の延長線上にあるイベントのように描かれます。

この感覚は、現代のSNS社会と非常によく似ています。
他人の不幸も、死も、画面越しでは一瞬のコンテンツでしかない。
スクロールすれば次の話題に移れる。

この映画は、2000年代初頭の作品でありながら、今の時代を先取りしすぎていると感じました。


子どもの頃に見てはいけなかった理由

改めて思います。
小学生の頃にこの映画を見なくてよかった。

なぜなら、『自殺サークル』は恐怖で脅す映画ではないからです。
「死にたくなる理由」を描かずに、「死んでしまう状況」だけを淡々と見せてきます。

感受性の強い時期に見ていたら、
理由もなく、ただ漠然とした不安だけが心に残ったと思います。

・なぜ人は死ぬのか
・生きる意味はあるのか
・つながりって何なのか

答えが出ない問いを、逃げ場なく突きつけられる。
それは、ホラー以上に危険な体験だったかもしれません。


わからないままでいい、という不親切さ

この映画は、とにかく不親切です。
謎は解決されず、カタルシスもありません。
観終わっても、スッキリしないまま、心に澱のようなものが残ります。

ですが、それこそが『自殺サークル』という作品の本質だと思います。

現実の社会も、人生も、
きれいに説明されることなんてほとんどありません。

なぜ生きるのか。
なぜ死ぬのか。
なぜ誰かとつながりたいのか。

この映画は、それらに答える気が最初からないのです。
ただ、「考え続けろ」と突き放してくる。


まとめ――今だからこそ、観る意味があった

『自殺サークル』は、万人に勧められる映画ではありません。
正直に言えば、気分が落ちている時には絶対に観ない方がいい作品です。

それでも、
子どもの頃にパッケージだけを見て、避けてきたこの映画を、
今になってようやく観られたことには意味があったと思います。

大人になり、社会を知り、孤独もつながりも経験した今だからこそ、
「これはフィクションだ」と距離を取りながら向き合うことができました。

そして最後に残った感想は、
怖かった、ではなく、苦しかった。

でもその苦しさは、目を背けてはいけない種類のものだった気がします。
だからこの映画は、今もなお語られ続けているのだと思います。

決して優しくはない。
でも、忘れられない一本です。

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