こんにちは、2児育児+ワンコ1匹の基本テレワークで日々あがいているぽんです。いつも訪問ありがとうございます(ブックマーク・スターもありがとうございます)。ブログ更新の励みになっています
億劫な犬の散歩、それでも歩き出せる理由

――今の季節だけは、金木犀の香りに癒される――
犬を飼っている人なら、一度は感じたことがあるかもしれません。
「今日はちょっと…散歩、行きたくないな」――そんな気持ち。
どんなに愛しい存在でも、毎日の散歩は時に“義務”のように感じてしまうことがあります。
雨が降りそうな日、仕事でくたくたな夜、布団から出たくない朝。
「行かなきゃ」と思いながらも腰が上がらない。
そんな億劫さと、日々せめぎ合いながら過ごしています。
でも、不思議なことに。
この季節――そう、金木犀(キンモクセイ)の香りが街を包みはじめる頃だけは、足取りが少し軽くなるのです。
■ 金木犀が香る道を歩く贅沢
犬がリードを引くまま、夕方の公園へ。
夏の名残を感じる空気に、少しひんやりした風が混ざり始める。
ふと鼻をくすぐる甘くて懐かしい香り。
それが金木犀だと気づく瞬間、なんとも言えない幸福感に包まれます。
街路樹の下には、小さな橙色の花がこぼれ落ちていて、まるで金色の雨のあとみたい。
犬がその上を軽やかに踏んでいくのを見ながら、私は思わず深呼吸をします。
ほんの少し前まで、「めんどうだな」と思っていた散歩が、いつのまにか“癒しの時間”に変わっている。
金木犀の香りには、人の心を穏やかにしてくれる不思議な力があります。
秋の訪れを告げるこの香りは、ほんの数日から一週間ほどで消えてしまう儚いもの。
だからこそ、散歩中に感じるたった数分の香りが、特別なご褒美のように思えるのです。
■ 犬と歩く時間がくれる「生活のリズム」
犬の散歩は、ただの運動ではありません。
飼い主にとっては、生活のリズムを整える「小さな習慣」でもあります。
天気に関係なく外に出る。
季節の変化に気づく。
人とすれ違い、軽く会釈を交わす。
そんな当たり前の行動が、日々のリセットボタンのように働いてくれるのです。
仕事や家事、育児で頭がいっぱいになっている日でも、犬は変わらず「外に行こう」と誘ってくる。
その無言のリクエストに応えるうちに、心が少しずつ解けていくのを感じます。
そして、金木犀の香る季節は、そのリズムがいっそう心地よい。
夕暮れ時のオレンジ色の光、遠くから聞こえる子どもたちの声、犬の足音。
そのすべてが、秋という時間を優しく包み込んでくれるのです。
■ 億劫さの中にも、幸せが潜んでいる
犬の散歩は、正直、面倒なときも多い。
けれども、毎日の中で“億劫”と思えることほど、じつは幸せの種が隠れているのかもしれません。
もし犬がいなければ、私はきっと金木犀の香りをこんなにも深く味わうことはなかった。
外の空気の変化にも、空の色の移ろいにも、ここまで敏感にはなれなかったでしょう。
「億劫」と「癒し」は、ほんの紙一重の距離にあります。
それをつないでくれるのが、犬という存在。
リードの先で無邪気に尻尾を振る姿を見ると、どんな疲れもふっと消えていく。
そんな瞬間のために、私は今日も散歩に出るのかもしれません。
■ 金木犀がくれる、短い秋のご褒美
金木犀の香りが街から消えるころ、少し寂しさを覚えます。
また来年まで、この香りに会えないのかと思うと、秋の終わりを実感してしまう。
でも、犬はそんな感傷とは無縁。
変わらず鼻をひくひくさせて、次の木の根元を目指します。
その姿を見ていると、なんだか救われるのです。
季節は巡る。香りは消えても、また来年、同じ道を歩けばいい。
そう思えること自体が、犬と過ごす毎日がくれた“生きるリズム”なのかもしれません。
■ おわりに
犬の散歩が億劫になる日もあります。
けれど、今だけは特別。
金木犀が香るこの季節は、歩くたびに心がほどけていく。
「行ってらっしゃい」と言わんばかりに香るその匂いに背中を押され、
今日もリードを握って外に出ます。
金木犀の季節が過ぎたら、また少し散歩が面倒に感じるかもしれません。
でも、その時は思い出すでしょう。
この甘くてやさしい香りの中で、犬と歩いた秋の夕暮れを。
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