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映画『心と体と』――孤独な二人の魂が出会うまで。夢と現実をつなぐ愛のかたち

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映画『心と体と』――孤独な二人の魂が出会うまで。夢と現実をつなぐ愛のかたち


序章:静かに寄り添う、異色のラブストーリー

ハンガリー映画『心と体と』(原題:Testről és lélekről)は、2017年に公開されたイエディコー・エニェディ監督の作品です。第67回ベルリン国際映画祭で金熊賞(最優秀作品賞)を受賞し、その独特の世界観と詩的な映像表現で高い評価を得ました。
物語の舞台はブダペスト郊外の食肉処理場。無機質で血の匂いが漂う職場に、感情を表に出せない二人の男女が働いています。彼らは、現実では会話もぎこちないのに、夢の中では鹿と雌鹿として森を駆ける
――そんな不思議なつながりを持つのです。

この映画は「孤独」と「純愛」、そして「人間の心と体の乖離」をテーマに、静謐でありながら衝撃的なラストへと導かれていきます。


原題と邦題の違い ― 「心と体と」の中間にあるもの

原題の「Testről és lélekről」は、ハンガリー語で「身体と魂について」という意味です。
英題の「On Body and Soul」もほぼ直訳であり、「心と体」というよりも「肉体と魂」という少し哲学的な響きを持ちます。

一方、日本語タイトルの『心と体と』は、より柔らかく、感情面に寄り添った表現になっています。
原題が「哲学的・抽象的」なのに対し、邦題は「人間的で感覚的」です。
この差は、映画そのものの性質を的確に反映しています。つまり――

“哲学としての魂”を語る映画ではなく、
“不器用に愛を学ぶ二人の心”を描く作品である。

この邦題の丸みのある響きが、映画の静かで温かい余韻にぴったりと重なっています。


あらすじ:夢でつながる二人の孤独

主人公は、左手に障害を持ち、過去の事故以来感情をうまく表現できない中年男性・エンドレ
彼は食肉処理場の経理を担当しており、どこか達観したような静けさを持っています。

もう一人の主人公は、新しく品質検査官として赴任してきたマリア
彼女は極度に潔癖で、他者との距離を取って生きており、まるで世界と少しズレたような存在です。
彼女の行動は一見、機械的。だがその中に、痛いほどの純粋さがあります。

ある日、処理場で起きた事件をきっかけに、心理テストが全従業員に行われます。
その結果、エンドレとマリアが同じ夢――森の中で鹿と雌鹿として過ごす夢――を見ていることが判明します。

彼らは現実世界ではほとんど会話もないのに、夢では穏やかに寄り添い合っていたのです。
この「夢の共有」は、冷たい現実と温かな魂の交錯を象徴しています。


テーマ1:心と体の不一致 ― 孤独の中の「ズレ」

本作の最大のテーマは、人間の心と体のズレです。
エンドレは心に壁を作り、マリアは身体的な接触を恐れています。
どちらも「愛したいのに、うまく愛せない」人たちです。

彼らに共通するのは、他人と関わる痛みを知っているということ。
社会の中でうまく感情を表現できない彼らは、静かに孤独を抱えています。

しかし夢の中では、体も言葉もいらない。
鹿の姿になった二人は、ただ同じ方向を見つめ、雪の中を並んで歩きます。
この“無言の交流”が、現実では届かない心の触れ合いを象徴しているのです。

現実では分かり合えない二人が、夢の中でだけ通じ合う。
それは、人が本当に望む「つながり」の原型かもしれません。


テーマ2:暴力と純愛の対比

舞台が「食肉処理場」であることにも深い意味があります。
血と肉が日常的に交錯する場所で、命を奪う行為と、生きようとする愛が対照的に描かれます。

監督イエディコー・エニェディは、インタビューでこう語っています。

「最も残酷な場所で、最も純粋な愛を描きたかった。」

つまり、愛は清らかな環境ではなく、汚れた現実の中でこそ輝くということ。
マリアが他人との接触を恐れながらも、必死に愛を学ぼうとする姿は、まさに人間の根源的な“生”の表現です。


テーマ3:夢と現実の橋渡し

物語の中盤から、マリアはエンドレとの夢の世界を現実に持ち込みたいと願い始めます。
しかし、現実の彼女は不器用で、会話も感情表現もままなりません。
一方、エンドレは夢の絆を信じながらも、現実のマリアとの距離に戸惑います。

二人は何度もすれ違い、傷つきながらも、夢から現実へ、魂から身体へと少しずつ歩み寄ります。
ここにこそ、タイトル「心と体と」の本当の意味があります。

愛とは、魂の共鳴だけでは成り立たない。
現実という「体」の世界で、相手を受け入れる勇気が必要なのです。


ラストシーンの解釈 ― 生と再生の象徴

物語の終盤、マリアはエンドレに拒絶されたと感じ、絶望のあまり自殺を試みます。
しかし彼女は死にきれず、病院で再び目を覚ます。
そこへ駆けつけるエンドレ――そして二人はようやく「現実で」触れ合うことができるのです。

夢の中での鹿たちの穏やかな姿が、現実世界でも重なり合うように。
ラストで描かれる二人のベッドシーンは、官能というよりも**“魂の統合”**に近い表現です。

監督は、この結末を「悲劇ではなく、再生」と語っています。
マリアが血の世界から愛の世界へと踏み出す瞬間――それは、まるで魂が再び体に戻るような感動的な描写でした。


映像美と音楽 ― 静寂が語る感情

この映画の魅力は、セリフよりも「沈黙」にあります。
雪の森の映像、動物たちの呼吸、処理場の金属音――すべてが対比的に配置されています。

音楽は控えめで、ほとんどの感情は表情と間で表現されます。
特に、マリア役のアレクサンドラ・ボルベーの演技は圧巻です。
彼女の繊細な仕草や視線の動きだけで、観客はマリアの心の震えを感じ取れます。


まとめ:人間であることの痛みと美しさ

『心と体と』は、派手な展開もセリフもない、静かな映画です。
しかし観る人の心の奥を静かに揺らします。

愛は、言葉でも身体でもなく、魂の理解から始まる。
そしてその理解を、現実の「体」で形にする勇気が必要。

この作品は、そんな人間の不完全さを優しく包み込むように描いています。
観終わった後、静かな涙が流れる――それは悲しみではなく、

「人間って、こんなにも愛おしい存在なんだ」
という気づきに近いものです。


最後に

原題「Testről és lélekről」が示すように、この映画は「身体と魂」についての物語です。
邦題『心と体と』は、その哲学的なテーマを“人間の優しさ”に引き寄せた形で翻訳しています。

夢と現実、肉と魂、心と体。
そのすべての境界を越えて、二人が出会う――
それこそが、この映画の最も美しい奇跡です。


 

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