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【断捨離】さようなら、小さな長靴 〜晴れの日も一緒だった相棒〜

今週のお題「夏の足元」

こんにちは、2児育児+ワンコ1匹の基本テレワークで日々あがいているぽんです。いつも訪問ありがとうございます(ブックマーク・スターもありがとうございます)。ブログ更新の励みになっています


【断捨離】さようなら、小さな長靴 〜晴れの日も一緒だった相棒〜

玄関の隅に、少し色あせた水色の長靴がありました。
雪の結晶模様と、外側に貼られた『アナと雪の女王』のシールが特徴的で、よく見るとつま先には泥の跡、かかとはすり減っていて、もう立派に役目を果たし終えた風格があります。

この長靴は、子どもが自分で「履く!」と言い始めた最初の靴でした。サイズは当時の足より大きく、長靴の中でつま先がスカスカ。それでも本人は気に入って、雨の日だけでなく、晴れの日も「これがいい!」と選びました。


晴れの日も一緒に

本来は雨の日のための長靴。
でも子どもにとっては、そんなルールは関係ありません。青空の下、公園の砂場や滑り台にもこの長靴で駆け出していきました。暑い日でも、汗をかきながら脱ごうとしない。大人から見れば「なんでわざわざ?」と思うけれど、本人にとってはお気に入りの靴で遊ぶことが楽しかったのでしょう。

思い返せば、夏祭りにもこの長靴を履いていきました。浴衣姿に長靴というアンバランスさが、今となっては愛おしい思い出です。


成長は突然やってくる

ある朝、この長靴を履かせようとしたら、足首でつかえて入りませんでした。
「え?昨日まで履けてたのに…」
そう思った瞬間、子どもの足がいつの間にか大きくなっていることに気づきました。成長は毎日少しずつ進んでいるはずなのに、実感するのはこういう一瞬です。

「もうこれ、入らないね」と声をかけると、子どもは少し残念そうな顔をしていました。それでも次の日からは新しい靴を履き、長靴のことはすぐに忘れてしまったようです。子どもは未来に向かって軽やかに進む一方で、大人は過去をなかなか手放せないものだと感じます。


捨てる決意

この長靴を断捨離しようと玄関から取り出したとき、少し迷いました。
まだ形は残っているし、色もきれい。もしかしたら下の子や親戚に回せるかもしれない。でも、かかとのすり減りや細かな傷を見て、「これはもううちで役目を終えたんだな」と思いました。

実際、断捨離で迷うのは「物」ではなく「記憶」です。
長靴そのものよりも、それを履いて水たまりに飛び込んだ笑顔や、晴れの日に走り回った姿を失いたくなくて、手放すのがつらくなるのです。


写真で残す

迷いを断ち切るため、私は長靴の写真を撮りました。
真上から見た雪の結晶模様、横から見た小さなフォルム、シールが少し剥がれかけている様子。汚れや傷もそのまま残しました。写真なら、場所を取らずに思い出を保存できます。

そして、その日のうちにゴミ袋へ。
袋の口を縛ったとき、少し胸が締めつけられるような感覚がありましたが、それと同時に「これで玄関がすっきりする」と心が軽くなったのも事実です。


晴れの日の思い出は消えない

長靴はもうありません。でも、あの日の風景は私の中にしっかり残っています。
晴れた公園で、青い長靴が砂まみれになったこと。滑り台の階段を上がるときにカツカツと響く音。夏のアスファルトの上で、長靴の中が蒸れて「暑い!」と笑っていた声。

物はなくなっても、その時の感情や情景は心に刻まれているものです。


断捨離は未来のスペースを作る

断捨離は「過去を捨てる」のではなく、「未来を迎える準備」です。
古い長靴を手放した分、玄関には新しい靴が並びます。新しい靴で、また新しい雨の日や晴れの日の物語が始まります。

私は、この長靴を捨てたことを後悔していません。
なぜなら、それは我が家にとって「ひとつの時代が終わり、新しい章が始まった」瞬間だからです。


 

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