こんにちは、2児育児+ワンコ1匹の基本テレワークで日々あがいているぽんです。いつも訪問ありがとうございます(ブックマーク・スターもありがとうございます)。ブログ更新の励みになっています
今日の断捨離:壊れたiPhoneのイヤホンケースと、わたしの小さな決別
断捨離を始めてから、毎日「一つ何かを手放す」というルールを自分に課している。大きなものから小さなものまで、目についたもの、ふと気になったもの、そして「なんとなく取っておいた」もの。そんな中で、今日の断捨離の対象は、壊れたiPhoneのイヤホンケースだった。
犬に壊された、ある日の出来事
ことの発端は数ヶ月前。うちの愛犬がまだ赤ちゃんだったころ、いたずら盛りの彼は目を離した隙に、わたしの引き出しから何かを引っ張り出していた。音に気づいて振り返ると、そこには見慣れた白い小物の残骸が…。そう、それはiPhoneに付属していた、あの四角くてコンパクトなイヤホンケースだった。
本体はなんとか無事だったけれど、ケースのフタが欠け、ヒンジ部分が割れ、もはや蓋としての機能を果たさなくなってしまっていた。
「やられたー!」
でも怒る気にはなれなかった。なぜなら、その頃すでにわたしはAirPodsを使っていたし、有線イヤホン自体、ほとんど使っていなかったからだ。壊されたことより、「ああ、これ、もう使ってなかったな」という気づきの方が大きかった。
なぜか捨てられなかった小さなケース
それでも、なぜかその壊れたケースをすぐには捨てられなかった。傷ついたとはいえ、中にはきちんと巻かれたイヤホンが収まっていて、パチンと閉まらないだけで「機能はしている」と思っていたのだ。
しかも、Apple製品特有のあのミニマルなデザイン。白くて、無駄がなくて、洗練されている。持っているだけで少しスマートな気分になれそうな、そんな“幻想”もあったのだと思う。
「いつか使うかも」「予備として取っておこう」「旅行用にちょうどいいサイズかも」
そんな言い訳がいくつも頭に浮かんでは、引き出しの隅に戻してしまう。だけど今日、ようやく気づいた。「これはもう、わたしの暮らしには必要ない」って。
手放すことで、自分をアップデートする
壊れたもの、使わなくなったもの、いつか使うかもしれないもの。そういうものたちを手元に置いておくと、知らず知らずのうちに“今”の自分より“過去”や“未来”に引っ張られてしまう。
イヤホンケースひとつとっても、それは単なる収納グッズではなく、「昔の自分が使っていたもの」「なんとなく大事にしていたもの」「手放す決心がつかない自分の象徴」だった。
だけど、今のわたしにはAirPodsがある。有線イヤホンを使うこともほとんどなく、ましてや壊れたケースをわざわざ修理する予定もない。だったら、もう潔く手放していい。むしろ、今の自分を軽くしてあげるために、手放すべきなんだと思った。
犬と過ごす日常と、物の価値観
壊されたからこそ気づけたことがある。それは、わたしが「完璧な状態」であることにこだわりすぎていたこと。ヒビが入ったケースでも、使えると思えば取っておいた。でもそれって、本当に“使っている”とは言えない。
愛犬はそんなわたしの執着を、ある意味で“強制終了”してくれたのかもしれない。目に見える形で壊すことで、「これはもう終わったよ」と伝えてくれたのかもしれない。
モノに完璧を求めすぎない。壊れたことを悲しむより、そこから何を学べるかを考える。ペットと暮らすというのは、そういう小さな気づきを日常的にもたらしてくれる。
手放して、空いたのはモノだけじゃなかった
ケースを手放したことで、引き出しのスペースが空いた。でも、空いたのはそれだけじゃない。心の中にも、ほんの少し余白ができた気がした。
わたしが大切にしたいのは、機能しなくなったモノより、今の暮らしの快適さ。思い出よりも、これからの身軽さ。そうやって、日々少しずつでも自分の暮らしを更新していけたら、それがきっと「断捨離」の本質なんだと思う。
まとめ:壊れたケースから教わったこと
今日の断捨離は、ただの小さなプラスチックケースだったかもしれない。でも、そこにはたくさんの気づきと学びがあった。
- モノへの執着に気づけたこと
- “今”の自分に必要かどうかを見極める力
- 完璧主義を少しだけ手放せたこと
- ペットと過ごす日常の尊さ
- 手放すことで得られる心の余白
断捨離は、モノを捨てる行為ではなく、自分を見つめ直す行為なのかもしれない。
明日は、どんな「小さな決別」がわたしを待っているんだろう。
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