こんにちは、2児育児+ワンコ1匹の基本テレワークで日々あがいているぽんです。いつも訪問ありがとうございます(ブックマーク・スターもありがとうございます)。ブログ更新の励みになっています
こんにちは。今日は、少しだけ心がチクリとする断捨離のお話です。
我が家ではここ数年、「ものを持たない暮らし」を目指して断捨離を続けています。目的はただひとつ。家をスッキリさせて、心地よく暮らすこと。そのために、毎日少しずつ、見直しと手放しを繰り返しています。
そして今日、手放すことにしたのは——
母の仕送り品のひとつだった「キティちゃんのカバン」。
キティちゃんのカバンにまつわる思い出
このキティちゃんのカバンは、母が数年前に送ってくれたものです。特にリクエストをしていたわけではないけれど、ある日突然、ダンボールの中にひょっこりと入っていたものでした。
「使うかな?」と思いつつも、近所の買い物に行くときにサブバッグとして使ったり、荷物が多い日の通勤に使ってみたり。意外にも出番は多く、あっという間に“いつもの一軍バッグ”になっていました。
でも、ある日ふと気づいたのです。
持ち手の部分が、ほつれ、ついには取れてしまったことに。
ものは使い切るのが一番の供養
バッグとしては、もう役目を果たしてくれました。
正直、修理すれば使えるかもしれない。でも、そこまでの思い入れがあるかといえば……それは「うん」と言えない。そんな風に自分に問い直してみて、今回の断捨離を決断しました。
私が断捨離をしていて思うのは、「使い切ったものを手放すことは、感謝の表現でもある」ということ。
よく「捨てる=悪いこと」のように感じることがあります。特に、それが“誰かからもらったもの”だったとき。しかも、それが親からの仕送りであれば、なおさら罪悪感が生まれてしまう。
でも、「使わずにしまい込んだまま忘れてしまうこと」の方が、ものにとっても、相手にとっても寂しいことだと思うのです。
仕送りの中には、いろんな“母の気持ち”が入っている
母の仕送りは、いつも少しだけ“ズレている”のが愛おしいです。
「えっ、なぜこれ?」というような品が必ず入っている。それはキティちゃんのカバンだったり、スーパーの試供品だったり、地元では有名だけど県外では見かけない漬物だったり。
最初のうちは、その“ズレ”に戸惑うこともありました。「なんで、こんなに重たい缶詰を入れたんだろう?」「これ、どこで使うの?」と、思わずクスッとしてしまうようなセレクト。
でも、それが母らしさなんだと思います。
「これ、あの子喜ぶかな?」「最近忙しそうだから、ちょっと笑えるように」
そんな気持ちが、あの段ボールには詰まっているんですよね。
これからは「母の仕送り品」も仕分けていく
今、私は家の中のあらゆるものを見直しています。クローゼット、書類棚、子どものおもちゃ、キッチンの奥の奥。目に見えない「気持ち」や「思い出」も含めて、丁寧に整理していきたいと思っています。
そして、その中でこれから向き合いたいと考えているのが、「母の仕送り品」の仕分けです。
実はまだ、仕送りで届いたものの中に“もったいなくて使えなかったもの”や“なんとなく取っておいたもの”がたくさんあります。それらは、どれも「母の愛情」そのもの。でも、全てを取っておくことはできません。だからこそ、ちゃんと向き合って、ありがとうの気持ちと一緒に手放していく必要がある。
断捨離は、心の整理でもある
断捨離は、ただ“もの”を減らす行為ではありません。
それは、過去と向き合い、今の自分にとって大切なものを見つけ出すプロセスです。
「これは、いまの私にとって必要?」
「これを持っていることで、気持ちが穏やかになる?」
そう自問自答を繰り返す中で、ようやく見えてくるものがあります。
キティちゃんのカバンは、過去の私には必要だった。
でも、今の私にはもう必要ない。
そう言えることは、決して悲しいことではなく、むしろ“前に進めている証”なんだと思います。
最後に:母への感謝は、ちゃんと伝えよう
仕送りの荷物に、毎回お礼の連絡をしていたけれど、あらためて思います。
“本当にありがとう”って、ちゃんと伝えたい。
ものを手放すことで、逆に見えてくる親の優しさや、自分の変化。
断捨離は時に、そんな心のリレーを生み出してくれます。
これからも、少しずつ、心を整えるようにものを減らしていこう。
母の仕送りの品も、一つひとつ思い出をたどりながら、丁寧に。
そして、今日手放したキティちゃんのカバンにも、心からありがとう。
私の毎日に、たくさんの笑顔をくれて、本当にありがとう。
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