こんにちは、2児育児+ワンコ1匹の基本テレワークで日々あがいているぽんです。いつも訪問ありがとうございます(ブックマーク・スターもありがとうございます)。ブログ更新の励みになっています
日々、子育てや仕事、家事に追われる中で、ふとした散歩やお迎えの時間が、私にとっての小さなリセット時間になっています。でも最近、そんな穏やかな時間に、ちょっと信じられない出来事が2つ続けて起きました。どちらも小さなエピソードといえばそうなのかもしれない。でも、心には不安や戸惑いが残り、今もふと思い出してはモヤモヤしてしまう。今回は、そんな日常に潜む「ちょっと怖い実話」を2つ、綴ってみたいと思います。
【エピソード1】散歩中に「バカやろう」と怒鳴られた話
いつものように、私は犬と一緒に近所の道を散歩していました。時間は夕方。あたりは少し涼しくなってきた頃で、犬も心なしか足取りが軽やか。私もそれに合わせて、のんびり歩いていたんです。
すると前から、同じように犬を連れた70代くらいの男性がやってきました。特に気に留めることもなく、私は道の左側を歩いてすれ違おうとした、まさにその瞬間。
「右側歩けよな、バカやろう!」
耳を疑うような大声が飛んできたのです。びっくりして立ち止まり、思わず男性の顔を見てしまいました。明らかに不機嫌そうな表情。何かされた覚えもなければ、進路を塞いだわけでもない。ただ私は、道の左側を歩いていただけです。
(虫の居所が悪かったのだろうか?)
そう思うことで、なんとか気持ちを落ち着けようとしましたが、胸の奥に残ったのは「どうして、いきなり怒鳴られなければいけなかったんだろう」という理不尽さ。そして、何より「もし子供と一緒だったら…?」という怖さ。
私自身、怒鳴られるようなことをしていないという自覚があるからこそ、余計にショックでした。人が多い都会の道ならまだしも、住宅街の静かな通りでの出来事。誰にも聞こえないからこそ、こういう理不尽が見過ごされてしまうのかもしれません。
【エピソード2】知らない女性に「公園に行こう」と言われた帰り道
この話は、もっとぞわっとした出来事でした。
ある日、子供を保育園に迎えに行った帰り。小さな手を引いて、家までの道を歩いていると、道端にいた70代くらいの女性が、突然話しかけてきました。
「まあ、かわいい子ね。今日も保育園だったの?いいわねえ、元気で。どこまで帰るの?」
最初は、近所の誰かかと思いました。けれど、まったく見覚えがない人。それでも人懐っこく笑いかけてきて、次の瞬間、こう言われたのです。
「ねえ、公園行きましょ。すぐそこよ、ちょっとだけ。いいじゃない、お子さんも行きたいって言ってるし」
隣にいた我が子は、その言葉にまんまと反応してしまいました。
「こうえんいくー!」
私はあわてて説得を開始。
「今日はおうちの近くの公園で遊ぼうね」
「お夕飯の用意もしなきゃいけないし」
「パパももうすぐ帰ってくるよ」
「雨も降りそうだから、今日はおうちで遊ぼう?」
「おもちゃもテレビもあるよ!」
しかし女性は引かず、むしろ子供を誘導するように笑顔で手招きしながら、
「ちょっとくらいいいじゃない。お子さんも楽しそうよ。大丈夫大丈夫」
と、私の制止を聞かずに押し切ろうとしてきました。まるで、親である私の存在なんて見えていないかのように。
私は内心、かなり焦っていました。
(この人、なんでこんなに積極的に誘ってくるの?もし連れていかれたら?どうやって断れば…?)
結果として、子供の好奇心に負けてしまい、私も一緒に公園まで行くことになりました。誰かと一緒だったからまだ良かった。でも、公園で遊んでいる間も、私はずっと心の中で「帰り際、何かされるんじゃないか」と警戒し続けていました。
“いい人”の皮をかぶったコントロール
2つの出来事を通して思ったのは、「言葉の優しさ」や「親しげな態度」が、必ずしも安心を保証するわけではないということです。
怒鳴ってきた男性も、近所の公園に誘ってきた女性も、それぞれが“日常”の中に溶け込んでいるからこそ、怖いのです。
大声を出したり、勝手に子供に話しかけたりすることが、ほんの一瞬で人の心に深い影を落とすことだと、本人たちは気づいていないのかもしれません。
親として、自分を信じてよかったと思う
公園に行くことになったあの日。たくさんの「迷い」がありました。断ったら感じ悪いかな?子供が泣いたらどうしよう?でも、最後まで子供の手を離さず、「今日はここまで」と決めて家に帰った自分に、少しだけ自信を持ちました。
大げさかもしれない。でも、子供を守れるのは親だけだと実感しました。
日常の中で、ちゃんと「NO」と言っていい
今回の2つの出来事は、どちらも警察沙汰になるような話ではないかもしれません。でも、心がざわつき、疑い、考え込んでしまう体験でした。
世の中には、悪意があるわけじゃなくても、相手の“常識”がズレていることがあります。だからこそ、自分の感覚を信じて「嫌だな」と思ったら、それを大事にしていい。声に出していい。
「ちょっとくらいいいじゃない?」
そう言われたときこそ、「ちょっとくらいが命取りになる」と思って、毅然としていようと思います。
読んでくださってありがとうございました。
皆さんにも、同じような体験がありますか?日常に潜むちょっとした違和感、誰かと共有するだけでも、心が軽くなるかもしれません。
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