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押し入れの奥に、使い込まれた長靴がひっそりと眠っていました。色はモスグリーン。少しかすれたロゴと、曲げると少しパリっと音がしそうなゴムの質感。10年前、私が人生で初めて購入した長靴です。
この長靴は、ただの靴ではありません。思い出が詰まりすぎていて、簡単には手放せない存在でした。でも先日、とうとう「ありがとう」と「さようなら」を伝える日がやってきました。
フジロックのために買った、人生初の長靴
この長靴との出会いは、10年前の夏でした。あのとき、私はフジロックフェスティバルに初参加することになり、フェスの準備に心躍らせていました。ワクワクする気持ちでネット検索を重ねていくうちに、至るところで「雨対策は万全に」「長靴は必須!」という文字を目にしました。
「長靴なんて子どもの頃以来履いてないな」と思いながら、アウトドアショップへ。少し高かったけれど、しっかりした作りと頼もしそうな見た目に惹かれて選んだのが、このモスグリーンの長靴でした。
そして迎えたフジロック本番。案の定、空は雨。会場はぬかるみだらけでしたが、この長靴のおかげで不安はまったくありませんでした。音楽に体を揺らしながら、泥だらけの地面をズンズン進む私の足元を、しっかりと守ってくれました。初めてのフェスの高揚感、雨音、湿った空気。そんな風景の中に、いつもこの長靴がありました。
雨の日の頼れる相棒に
フェスが終わったあと、この長靴はただの記念品にはなりませんでした。日常に戻ってからも、雨の日の必需品として活躍し続けました。
特に子どもが生まれてからは、出番が一気に増えました。雨の日の保育園の送り迎えは、傘とレインコートと子どもの荷物、そして気まぐれな子ども自身との格闘です。そんな中で、足元を気にせず動けるというのは本当に心強いことでした。
また、犬を飼い始めたことも長靴の活躍を後押ししました。早朝の散歩、夜の散歩、小雨や小道の水たまり。そんな場面でもこの長靴があれば気にせず歩けました。むしろ、犬が草むらに飛び込んでいっても、安心してあとを追いかけられるくらいの信頼感がありました。
見た目は少し無骨かもしれませんが、使い込むほどに愛着が湧きました。長靴ってこんなに日常を支えてくれるんだと実感する日々でした。
静かに訪れる別れの予感
しかし、10年という歳月は、どんな道具にも確実にダメージを与えるものです。ある頃から、履き口のゴムが固くなってきたり、折り目に小さなひびが入っているのに気づきました。
それでも補修剤や防水スプレーでだましだまし使ってきました。「まだ履ける、もう少し大丈夫」と思いながら、気づけば数年が経っていました。
そして、ある大雨の日のことです。保育園の帰り道、いつものように長靴を履いていた私の足元に、じわじわと冷たい感触が広がりました。ついに、染みてきてしまったのです。
「ああ、もう限界かもしれないな」と思った瞬間、不思議なくらい寂しさが込み上げてきました。
思い出は、ずっと心の中に
この長靴と一緒に過ごした10年には、本当にたくさんの記憶が詰まっています。
泥だらけのフジロックの草原。雨の中、子どもを抱えて急いだ保育園の道。濡れた草の匂いを楽しむ犬と歩いた早朝の散歩道。どれも、この長靴の上から見ていた景色です。
履き古したゴム、すり減った靴底、取れかけたロゴ。それらすべてが、私の10年の暮らしの一部でした。
ありがとう、さようなら
物に心があるとは思いませんが、それでもやっぱり伝えたくなります。
ありがとう、私の足元をずっと支えてくれて。 ありがとう、雨の日も安心をくれて。 そして、さようなら。これからは、思い出として心の中に残っていてください。
次に選ぶ長靴は、きっともっと軽くて、機能的で、今どきのデザインかもしれません。でも、このモスグリーンの長靴のように、10年後も「この靴と過ごせてよかった」と思える存在に出会えたらいいなと思っています。
おわりに:物とともに生きるということ
長く使っていたものを手放すとき、私たちは少しだけ過去を見つめます。あのとき何をしていたか、どんな毎日を過ごしていたか。その中で支えてくれていた物たちの存在に、改めて感謝の気持ちが湧いてきます。
ものを捨てるのは、終わりではありません。思い出に区切りをつけ、新しい出会いへの第一歩でもあります。
10年をともにした長靴に、心からの「ありがとう」と「さようなら」を込めて。これからまた、新しい靴と新しい時間を歩いていこうと思います。
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