こんにちは、ぽんです
いつも訪問ありがとうございます
今回は、あの有名なジョニー・デップの主演映画「グッバイ・リチャード(邦題)」の感想・レビュー記事です
特にジョニー・デップが見たかったからというわけでもなく、アマプラのおすすめに出てきたので、「とりあえず面白そう」(この日本語変ですよね)とピンと来て、見てみることにしました
あらすじを読んでみて、“死”というワードにひかれたのは、確かでした
先日祖母が亡くなってから、“死”というものが明日かい存在になり、私の中でもいろいろな変化を迎えています
その影響はブログ記事にも現れていると思います
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「グッバイ・リチャード(邦題)」概要
「余命180日です」。大学教授・リチャードに告げられた突然のがん宣告。博学でエレガント、真面目な夫として美しい妻と素直な娘との何不自由ない暮らしを送っていたはずのリチャードの人生は一変。追い討ちを掛けるかのように妻に上司との不倫を告白された彼の日々は予期せぬ展開を迎える。死を前に怖いものなしになったリチャードは残りの人生を自分のために謳歌しようと決心。あけすけにものを言い、授業中に酒やマリファナを楽しむ。ルールや立場に縛られない新しい生き方はリチャードにこれまでにない喜びを与え、人の目を気にも留めない彼の破天荒な言動は次第に周囲にも影響を与えてゆく。しかし、リチャードの“終わりの日”は着実に近づいていて…。(C)2018 RSG Financing and Distribution, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
Amazon Prime Videoより引用
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「グッバイ・リチャード(邦題)」感想・レビュー
意外とドライな近親者、それがリアル
全体的にですが、主人公の周りの人々が結構ドライなんですよ
夫婦関係については、もともと冷えきっていたとはいえ、もう少し驚いたり、悲しみにくれたりしてもいいものでは…と個人的には感じました
かつては愛し合って結婚した二人で、子供も立派に育て上げて、苦楽を共にしたはずですが、「あぁ、逝ってしまうのね」とすごく冷静な反応に、逆にこちらが驚かされました
ただ、ここで監督が伝えたかったのは、死を目の前にした人の暖かく同感される姿ではないのだなと察しました
すべての人が、死を宣告された人に対して、悲しみの気持ちを示すわけではないと再認識させられたように感じます
このドライな感じが、さらに主人公の生き様を顕著に示しているように思えました
私がもしも実の父が余命幾ばくもないと知らされたら、それはもう本人よりも慌てふためく根拠のない自信がありますが、作中の娘はすごく毅然としていましたね
母も母であれば、子も子かもしれません
逆に、ドライというわけではなく「」一番悲しくて辛いのは、本人だ」と察して、さらに悲しくさせないように、別れが辛いものにならないように、相手を思っての優しさを見せたり、自分自身が悲嘆に暮れないようにと、事故防衛を張っていたのかもしれないですね
そう思うと、とても人間味に溢れる作品に感じられますね
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主人公が死の宣告を受け入れられずに、水溜まりの中を叫びながら走ったり、自暴自棄になったりするところは、共感できるところとできないところがありますが、とても興味深かったです
「どうせ亡くなるなら、いろいろ経験してから亡くなろう」という精神は、なんとなくですが、分かる気がしました
主人公が大学の文学専攻ということもあり、もしかしたら実際の作品なぞらえているシーンもあるかもしれないですね
そこまでは考察できませんでしたが、そうだったら面白いですね
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主人公がラストに向かった先は?
とても印象的で象徴的すぎるラストシーンだったので、視聴者も「これはどういう意味なんだ?」と解説を見たくなったことだと思います
私も初見の時は、意味が分からず、解釈をしたり、自分の中での答えを見つけるのに時間がかかりました
しかし、公式インタビューで監督のメッセージを聞いたときには、府に落ちるものがありました
それは、次の「大切なのは死に様ではなく“生き様”」の方に大きくか変わる話なので、抜粋は次のチャプターにします
個人的な見解ですが、主人公が向かった先は、「自分の最後の時間を迎える場所」かなと思っています
家を出た時点で、すでに行き先が決まっていたパターンとそうでないパターンがありますが、ラストシーンの十字路で戸惑っているように見えることから、行き先は決まっていなかったと考えられます
これから行き先を探しに行く旅の途中だと考えました
そして、このラストシーンで最もメッセージ性が強いのは、主人公が十字に分かれた道ではなく、道なき道を突き進んだところにあります
これは主人公のこれまでの人生を示しているかのようでした
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今までは敷かれたレールに沿うように、模範的な大学教授として生きてきましたが、死に直面し、大切なものは何かということを知り、アウトローではあるものの、自分らしい道を歩んでいきます
つまり、これからは残された人生は、敷かれたレールではなく、自分の好きなように、自分で道を切り開いて生きていく様子を表しているように思えます
また、別の解釈もできて、“あの世”と“この世”とも捉えることができると思っています
あの世とは、死後の世界のことで、舗装されていない道路があの世のことです
普通の人(生きている人)は、よっぽどのことがない限り、鋪装された道路を走ると考えると納得がいくと思います
死が近づいて、“あの世”を近くに感じているからこそ、“あの世”への道を進んだとも解釈できるのかなぁと
みなさんは、この意味深のラストシーンをどう解釈しましたか?
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大切なのは死に様ではなく“生き様”
最後に、この映画の一番のメッセージであろう“生き様”について触れたいと思います
ここは、監督のインタビューでもありましたが、まさに監督が見る人に感じてほしいポイントでしょう
引用させていただきました
「僕たちは皆歩く奇跡、なのに誰もが座り込んで⽂句ばかり⾔っている。黙って命に感謝すればいい、たとえ残りの人生が⻑くても短くてもそうあるべき。⾃分自身にはいつもそう⾔い聞かせています」
『グッバイ、リチャード!』監督が語る人生論、余命180日のジョニー・デップを描いて | THE RIVER<<このインタビューを受けて、まず初めに思い浮かんだものは、「人間は何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく」という言葉です
何も持たずに行くのであれば、やっぱり大切にしたいのは“何を残す”のではなく、“どう生きるか”なのかなと思います
自分自身の最後は、自分でも分からないものです
それであれば、生きているうちにやりたいことをやり遂げて、もう充分生きたと思える生き方をしたいものだなと感じました
自分の人生観にも影響を受けた作品でした
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最後に
以上、「グッバイ・リチャード(邦題)」の感想・レビュー記事でした!
自分の人生観を振り替えるにあたって、良いきっかけになる映画なのではないでしょうか
これまでの映画とは少し違った印象も受けるので、刺激になる作品だと思います
ジョニー・デップの高い演技力にもやはり目を見張るものがあるので、見ごたえはあります
ラストの解釈次第では、釈然としないこともあると思いますが、監督のメッセージをかみ砕きながら見ると良いと思います
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます
お楽しみいただけましたら、幸いでございます
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