こんにちは、ぽんです
いつも訪問ありがとうございます
今回は、「靴の捨て時が分からない(手放せない靴たちとの向き合い方)」についての私の思いを綴っていこうとおもいます
(余談ですが、仕事が引き継ぎの関係で毎日出社になってしまい、あまりブログを描く時間が確保できなくなりました。。その中でも、ブログは続けていくことに重きを置くことになりますが、それでもいい記事は書いていきたいと思います
時間はかかりますが、しっかり大切な記事を公開していこうと思います)
p>スポンサードリンク
靴の捨て時が分からない
ミニマリストを自称し始めてから、早くも三年目となりました
ゆっくりマイペースに断捨離を進めていたりするので、まだまだ改良の余地がありますが、そこは無理せずやっていこうと思います
さて、そんな中で最近の私の悩みがあります
それは、靴の捨て時が分からないです
私の信念として、「使えるものは使いきってから手放す」という使い捨て断捨離を多く行っています
使いきってからの方が、後腐れもなく、捨てるときのストレスもなくすっきり断捨離ができます
そのため、少し時間はかかりますが、その分あとからものが増えることがないので、私の中の大切なプロセスだと感じています
そのためか、この「もったいない精神」が良かったり悪かったりするのですが、もはや捨て時が分からなくなってしまったりします
化粧品や失せ物は無くなったら手放せばよいですが、「靴」だけは、捨て時を見謝っている気がするのです
スポンサードリンク
頭では分かっていても、「まだ」と思ってしまう
今年断捨離をしたいと思っている靴が3足あります
どれもミニマリストになる前に購入して、しばらくはいていなかったものなどです
私の「使い捨て断捨離」をセオリーにすると、靴は「履き潰してから断捨離」 となります
そうすると、靴は「履けなくなったとき」が捨て時です
この「履けなくなったとき」が分からないのです
スポンサードリンク
単純に貧乏性なのかもしれませんが、実際いま、穴が開いていたり、塗装が剥げていたりしますが、履く分には問題なく感じているので、そのまま履き続けています
散歩にいくときや汚れやすいとき(ドッグランなど)は、こうした傷んだ靴を履いています
人目につくようなときには、綺麗めな靴を履いていくようにしています
「さすがにこれは」と思うときがくるまでは、履き続けるしかないのでしょう
それって、いつなのでしょうか?
スポンサードリンク
「そのとき」が来るまで、とにかく履くしかない
こうして、ミニマリストなのかただの貧乏性なのか分からないですが、少なくともいまこの状態で靴を捨てると、確実に後悔が残ります
すっきりと、物との区別をしてくためにも、私は無下にものを手放したくないです
後味をよくするためにも、とにかく納得がいくまで履き続けるしかないですね
それが、両方のかかとに穴が開くまでかもしれませんし、ある日突然気持ちの整理がつくかもしれませんし、それは私にも分かりません
ただ、いまは気が済むまで、履くしかないですね
ミニマリストの中には、すぱっと物との対立ができる人もいると思いますが、私はそうではないタイプなので、じっくりとやっていく派です
だからこそ、こんなに時間はかかりますが、その分しっかりと地固めができるので、物は増えませんし、状態がきれいなままに保たれるのだと思います
じっくり派のミニマリストもいるということです
最後に
p>スポンサードリンク
以上、私が靴を捨てられないお話でした
いっぱい歩いて、いっぱい靴底をすり減らして、お腹いっぱいになるまで歩き続けて、いこうと思います
その方が痩せますし、体にも良いですし、無駄にものを捨てることもないですし、なんだかトータル的に良い気がします
同じように靴の手放すタイミングに迷っている方は、とりあえず履いて出かけたら良いと思います
そうすることで、何かピンとくるものがあるかもしれないですしね
靴は履かないだけでも劣化が進んでいくそうなので、履かないこともあまりよくないのです
いろんなミニマリストがいますので、こんなゆるーいミニマリストもいますよ、という心のモチベーションになれば幸いでございます
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます!
お楽しみいただけましたら、幸いでございます
スポンサードリンク
▼▼はてなブログでもお馴染み▼▼
▼▼ブロガーの強い味方▼▼
▼▼ランキング参加しています▼▼