こんにいは、ぽんです
いつも訪問ありがとうございます
今回は、「メイジーの瞳(邦題)」の感想・レビュー記事になります
親とは?そしてメイジーが見つめていたものとは?
そんなことを問いたくなる、子供がいてもいなくても、何かしらのメッセージが感じとれるそんな作品でした
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良かったら、見てみてくださいね
「メイジーの瞳(邦題)」概要
母スザンナ(ジュリアン・ムーア)と父ビール(スティーヴ・クーガン)が離婚し、共同親権を持つ両親の家を行き来することになった6歳の少女メイジー(オナタ・アプリール)。ロックスターであるスザンナは、再婚相手の青年リンカーン(アレクサンダー・スカルスガルド)に子育てを押し付けていた。メイジーは優しいリンカーンと心を通わせ始めるが、スザンナはそんな状況にいらついてしまい……。
メイジーの瞳 の映画情報 - Yahoo!映画
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「メイジーの瞳(邦題)」感想・レビュー記事
子供がいなくても、メイジーの意図することがなんとなく言葉に表せなくても感じ取ることができる
そして、子供がいれば、より子供の声にならない言葉に耳を寄せたくなる、そんな映画だと思いました
親は腐っていても親
結構ストレートでひどい言い方をしていますが、私の心に浮かんだ言葉はこれでした
「親はどんなに酷くても、子供にとって親であることには変わりなんだな」と
ちょうど前日に、親子の映画「Room(原題)」を見たばかりなので、より家族だったり、親子のあり方というものを考えさせられました
事実になってしまいますが、親はどこまでいっても親で、どんなに酷くても子供にとっては親なのだと思います
少し前に「親ガチャ」という言葉を世間で聞くようになりました
「親は選べない」「運ゲーだ」みたいな意味だったと思いますが、主人公のメイジーの親もそうしたものだったと思います
正直、世間一般的な感想を想定していうと、メイジーの親は結構やばいと思います
今の言葉で言えば、ネグレクトだと思いますし、自分本位で、言葉では「愛しているよ」「好きだだよ」「会いたかったよ」と言いますが、次には父親や恋人を罵倒する言葉が出てきて、見ていて終始いい気持ちにはなれませんでした
どんなに親がお互いに罵りあっても、どんなに親が別の人と再婚しても、どんなに親が「迎えにくるね」と言っても、子供は親に素直についてきます
動物学的な「すり込み」ではなく、親への無条件の愛情なのだと思います
それをうまいように使って、子供を自分の所有物用に回していくのは、少し角度が違った愛情なのかなと思いました
いや、そう思わないと、主人公のメイジーが報われないのだと感じました
メイジー、本当に不憫だな・・・と終始感じてしまう映画でした
これが自分の子供だったらと思うと、胸がはりさけそうになります
そのくらい、子供は従順で、素直で純粋で、私たちが思っている以上に繊細な存在なのだと思わされました
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メイジーの心が読み取れない
この映画は、基本的に子供目線ではなく、誰か別の客観的な視線で動いているように思います
アングルがメイジーの目線だったり、大人の顔が画面に入らず、メイジーのみに焦点が当てられるカットもしばしば見受けられました
しかし、メイジーの心の内側は、映画を通しては全く語られないわけです
ナレーションもなければ、こうしたいみたいな明白な主張もない
「〇〇がしたい」「〇〇が欲しい」というものはありますが、それは単純な日常的な欲求であって、メイジーの心の核心に迫った本心ではないと思っています
結局メイジーはどうしたいの?というのが、わからないのが、この映画の魅力であり、難解だと思われる由縁なんじゃないかと感じました
きっとメイジーの内側には秘めたる思いがあるのでしょうが、それは視聴者に任せているのかもしれないですね
視聴者がメイジー本人の目線になって、どう思うかという体験型の映画なのかもしれません
大多数の子供と比較すると、圧倒的に自己主張もないし、親にやけに従順だし、大人以上に物わかりが良くて、気が遣えてるこのメイジーという少女
私は違和感が拭い去れませんでした
必ず、胸の内側に押し殺してるものがあるはずです
それが解放されたのは、両親の再婚相手になったのに、最終的に捨てられてしまった元恋人たちと過ごしたビーチでの生活だと思います
ここで初めてメイジーは、母親に対して口答えらしい口答えをします
「行きたくない。明日ボートに乗るから」という子供らしい、本当に素直な気持ちです
これを聞いたとき、メイジーが求めていたのは、普通の家族で、普通の両親で、激しい口論をしない、本当のありふれた家族のあり方なのではないかと思いました
メイジーはキラキラとした笑顔を振りまきながら桟橋を駆け抜ける姿は、誰もが印象的だったと思います
メイジーの心は、やはり彼女しか分からないのかもしれません
子供も立派な人間です
親よりも偉いわけでも無く、身分が低いわけでもない、大人と対等な存在です
だからこしそ、メイジーの心は、親にも従属されない彼女だけのもの、という意味になるのかもしれませんね
さらに言えば、親子は必ずしも血縁関係で縛れないということかもしれませんね
親との関係は立ちきれなくても、心の親は誰にでもなれますから
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メイジーのその後は?ラストシーンが意味するものは?
映画の残り5分で、どんな終わり方をするのか?とそわそわしていたら、案の定なんだか微秒なラストシーンで幕を下ろしました
この作品は、もともとは100年ほど前の原作小説をもとにしているらしく、当時と時代設定や背景が異なるので、ラストの捉え方も異なってくると思います
このラストシーンを受けて、2パターンの解釈ができると思います
個人的にはハッピーエンドは好きなので、ハッピーエンド推奨派なのですが、ひとつはこれからメイジーに明るく楽しい人生が待っているということです
なんだかんだありましたが、元恋人たちはいい感じな関係を気づいています
しかしメイジーの本当の両親は自分のやりたいことをやって、メイジーを振り回し続けていくでしょう
何か重大なことがなければ、この両親の偏見だったり頑固な性格は変わらないので、期待はできないと思います
と思うと、なんだか少しでもメイジーが報われるのかなと
メイジーの両親も自分たちでは子供を見切れないことは承知しているので、今後もこの元恋人たちを頼ることになりますが、第ニの親として、メイジーの成長にいい影響を与えていってくれるのではないでしょうか
2つめのパターンは、今度も振り回されっぱなしで、元恋人たちもメイジーの元をさり、またメイジーは孤独な生活の中で、なんとか親の愛を少しでも感じていくというものです
私はやっぱりハッピーエンドが好きなので、パターン1推しです
みなさんは、どんな印象を受けましたかね?
最後に
以上、「メイジーの瞳(邦題)」の感想・レビュー記事でした
個人的には、ナニー(子守)の女性の髪型が、パーマからストレートに、服装がカジュアルからゴージャスに変わったときの立場の変化とかがうまく描かれていて、そうした表現も含めて、興味深い映画だと感じました
感想では書ききれませんでしたが、一番言いたいのは、メイジーの役の子が可愛い!最高!おしゃれなお洋服(レインボーのストライプのワンピースとか、魚のワンピースとか)、参考になりました
メイジーのなんだかアンニュイな表情、一生忘れません
今は素敵なレディになっていますね
ちなみに映画の現代は「What Maisie Knew」で直訳すると「メイジーが知っていたこと」となります
メイジーが知っていたことってなんでしょうね?親がお互いにもう愛し合っていないことでしょうか
それとも親はどんな形でもメイジーを愛してくれていると感じていることでしょうか
それか、もう親はこんなだからと諦めのことでしょうか
それは、メイジーの瞳に映された彼女の心の中でしか分かりません
もっと、子供に愛情を注いで、子供に嫌がらなれないように過ごしたいなと反面教師的に感じました
素敵な映画です、よかったら見てみてくださいね
最後までお付き合いいただだき、ありがとうございます
お楽しみいただけましたら幸いです
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