先日、Amazonprimeビデオでおすすめをされた「愛がなんだ」を見ました
正直そこまで期待はしていなかったものの、結局最後まで凝視しながら見ていました
まるで現代の男女の恋愛模様の縮図のようなこの映画は、共感できる人も多いと思います
自分を客観的に見る意味でも、映画のよさである「登場人物の体験を疑似体験できる」といった意味でも、見て損はない映画であると思います
個人的な感想をつらつらと述べていきますので、よかったら皆さんも一度目にして見てはいかがでしょうか?
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「愛がなんだ」映画の感想レビュー
なんと、作者はあの「角田光代」先生!
これは面白くないわけなかったわけです、むしろよくぞ映画化してくれた!という感じですね
角田先生といえば、個人的には「八日目の蝉」がいちばんです
映画が衝撃的すぎて、原作も読みましたが、原作と違うところも映画の良さだと思っています
「八日目の蝉」はもう心がえぐられるので、「タイタニック」と同じく二度とみたくない(最高にいい意味で)映画ですが、やっぱり見ちゃいますよね〜
怖いものみたさというか、子供がいると尚更感じるものが違うというか
そんな先生の作品、より魅力を感じてレビューができそうです
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現代の男女の恋愛模様の縮図
主人公(ヒロイン)は、テルコ。たまたま友人の結婚式で会った手が綺麗なマモル(マモちゃん)と意気投合し、二人の距離はぐっと近づく。
公園にデートに行ったり、夜遅く居酒屋に二人で飲みに行ったり、家事をしたり、一緒のベッドで寝たりする。ときには、恋人のような営みもする。しかし、二人は恋人ではない。
テルコはマモちゃんのことが好き。でもそれを直接口に出したり、恋人になろうとは言わない。マモちゃんが必要な時、呼ばれたいつでも飛んでいく。それがたとえ、夜遅く会社で待っていて、結局連絡が来ず、一人で家でご飯を食べて、シャワーを浴びた後でも「お腹ペコペコ、今仕事終わったところ」と言ってしまう。
現代の恋愛模様は非常に複雑であると思う。昔で言えば、男女がいて、お見合いをして、式を挙げて、恋人になる。この道筋が、今ではなくなりつつあるのもそうだが、「好き同士でも恋人ではない」という形が存在している。
お互い好きであるのに「もしかしたら、好きなのは自分だけかもしれない」と思うと、自分の気持ちをなかなか素直に相手に伝えられない。「相手が自分のことを好きだと思っていないのであれば、自分の心が一人歩きしているだけで、相手に迷惑になってしまうかもしれない」といった心情からか、相手の気持ちを聞かずに、恋人と友達の中間の関係を続けてしまう。
そしていつしか、その関係に疑問を持ち続け、痺れを切らした方が先に別れを告げてしまう。恋人のようなことをても、それでも二人は恋人ではない。もはや「恋人」の明確な線引きはどこからどこになるのかと考えさせられる。
相手が「友達以上恋人未満」の関係をずっと望むのであれば、自分はそれに甘んじよう。好きな人の求められる存在になるなら、どんな辛いことも一瞬でなかったことになる。
また、この映画が面白いなと思ったのは、男女で対照的なペアが出てくることです。
献身的なテルコ、自由本坊なマモちゃん。
これに対して、テルコの親友の葉子はマモちゃんに似て自由奔放、さらにこの葉子に献身的に尽くすのが、ナカハラ。
最終的にナカハラは、葉子に振り向いてもらえない辛さで葉子から離れますが、最終的に葉子がナカハラを尋ねるという逆転が起きています。
女の一方的な思いではなく、男も同じように悩む姿は、男女どちらでも共感できるものがあるのではないでしょうか。
「付き合う」「好きだから恋人になる」だけではない、新しい恋の形、複雑な男女関係の縮図がこの映画にはあります。
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愛がなんだ、これも立派な愛だ、全てに名前をつけようとするな
主人公のテルコは、最終的に「新しい恋や愛の形」に到達したものだと思われます。
後半のパートで、マモちゃんの友人であるイメケンの別荘持ちとの合コンの場で、テルコは自分の心と向き合うシーンがあります。
それは、昔の幼少時代の自分です。
幼少自体のテルコは素直で、「好きなら好きと言おう」と言ったりしますが、テルコが「それがどうした」と言った風に、幼少期の自分の言葉を振り切ります。
ここが分岐となって、テルコの新しい愛の形が芽生えたのだと思います。
当時、マモちゃんはスミレさんという彼女がいました。
テルコは本心かは分からないものの、「もうマモちゃんのことは好きじゃない」と言います。それを聞いたマモちゃんは拍子抜けしたような反応を見せます。マモちゃんもテルコに似ていると思ったのが、マモちゃんもテルコのことが好きだけれども、それをうまく表現できないのだと思います。
お互い考えていることは同じで、「テルコが俺のことを好きだと言ってくれたらいいのに」「俺だけがテルコのことが好きなのか」「もしかしたらスミレさんのことをちらつかせると、俺に思いを伝えてくれるのではないか」なんて思っているのではないでしょうか。
テルコの真の胸のうちは、分かりませんが、マモちゃんの親友と付き合うことで、マモちゃんのそばにいられる、そんな作戦のようにも思えます。
「これで、マモちゃん少し嫉妬してくれるかな」なんて心のどこかて思っていたりするのではないでしょうか。
それはテルコが表向きに否定しても、心の底では感じているところなのでは、と感じました。
言葉にすることだけが、愛の表現ではないということかもしれませんね。
「愛がなんだ」というタイトルにもつながりますが、「愛だから、付き合う」「愛だから二人は恋人同士になる」「そんなのなんだっていうの!好きなら好きで、それでいいの!愛だなんだっていうんだ!」というテルコの思いの現れなのかもしれません。
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結局ラストはどうなったの?と思わせる展開
ラストは、とても意味深でいろんなことを想像させてくれるシーンでした。
テルコがゾウの飼育員になって、餌やりをしているシーンで映画は終わります。
これは、テルコとマモちゃんが会社をサボって動物園でデートをした時に、「俺、将来象の飼育員になる」と発言するシーンがあるのですが、こことの関係になると思います。
「いつかマモちゃんが像の飼育員になるなら、先になって待っていよう」なのか「新しい人生をスタートした(マモちゃんのことは完全に吹っ切れた?)」なのか「マモちゃんが好きな像を愛て、新しい愛の形を見出した」なのかは分かりませんが、テルコが幸せそうな顔をしているのは、ハッピーエンドだったということは分かります。
もしかしたら、マモちゃんはスミレさんとまだ付き合っているものの、まだ二人は合っているかもしれないし、スミレさんと別れて違う人と付き合っていても、マモちゃんとの関係は続いているかもしれない。
物語からはそれは読み取れませんが、どの選択でも「テルコはまだマモちゃんが好き」なのだと思います。
「好きだから会う」はなく、「好きだから、あえて会わない」という選択を取っていることも考えられます。
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最後に
今回は、「愛がなんだ」のレビューでした。
後味がすっきりするようでしない作品ですが、メッセージ性はそれぞれ受け手の感じ方で変わるので、結構いろんな感想になる興味深い映画だと思います。
役者さんたちの演技も結構リアルで、日常のワンシーンを切り取ったような等身大の作品なので、共感できる人も多いのではないでしょうか。
この映画から「こんな教訓を得た!」というものではないですが、擬似体験的に映画の中の世界に没頭できる素敵な作品です。
一つ、確実に言えるのは、「八日目の蝉」のように胸が締め付けられる展開にはならない!ということです。安心してみれますよ。
ぜひ、お時間ありましたら、見てみてください!
最後までお読みいただき、ありがとございます!
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