はじめに
日本がテレワークを推し進めるきっかけになったのは、言うまでもないが世界恐慌レベルの新型ウイルスであるのは確かだ。
オリンピックでの混雑を見越してテレワークを進めていた企業もあるが、これほどまでに「やらなければいけない」きっかけになったのは、惜しくもウイルスである。
「おかげ」という言葉は使いたくはない。
このウイスルで本当に幸せになった人はいないだろう。
話は戻って、テレワークがもっと普及すればいいのに、というとりとめもない個人見解を述べていきたいと思う。私自身はどこにでもいる一般市民なので、一人の個人的な感想として読んでいただきたい。
テレワークで救われるものがある
私自身、テレワークで救われた。結果として救われたのだが、今ではありがたく思っている。
個人的な話にはなるが、子供を出産して育休から復帰してテレワークでの仕事となった。そのため、フルタイムでの復帰をすることができた。
もしも時短での復帰であれば仕事を続けていくのは辞めていただろう。時短になり給与は六割になり、それでも引かれる諸費用で手取りは本当に少なくなる。任される仕事も復帰前と比べてそれほどのもので、気がつけば送り迎えで一日が終わっている毎日は私にとっては辛いものだった。
復帰直後は仕事がなく、今思えば幸いであった。そのときは、仕事がないことが「頼りにされていない」「必要とされていない」「自分なくていなくてもいい」「認知すらされていない」と思うことが多かった。しかし、それが功を奏していた。
育児で一日の大半が終わる日々を過ごしていた。それでも我が子か可愛いし、一緒にいる時間は最高だった。けれども、自分の時間がほしかった。欲張りだろうか?ゆっくり椅子に座って、「ふぅ」と一息ついてお茶を飲むことがこんにも尊いことだとは知らなかった。まだまだ夜間授乳もしていて、睡眠の質も担保されていない。娘の昼寝のタイミングで溜まった家事を片付ける。気がつくと娘が起きるのでまた一緒に遊ぶ。そうすると夕方になるので夕食の準備をする。そして寝る。
この日々が保育園に子供を預けて仕事をすることで終わったのだが、いかに自分のペースで時間を過ごせることの快適さを思い知った。誰が悪いわけでもない。誰も悪いわけではない。ただ、「自分のペース」で仕事ができたことが、本当に楽しかった。
結局は無い物ねだりなのかもしれないけれども。
テレワークということもあり、自分の裁量で仕事ができたので、一年以上仕事のブランクがあった私でも無理なく仕事ができた。
好きな時間にトイレに行けるし、ゆっくりごはんは食べられるし、空いた時間で読書もできた。もしも復帰していなければ、こんな時間は二度となかった。そう思えば、復帰してよかったと思えたし、何よりもテレワークでよかったと思える。
片道二時間の通勤がなくなったことで
もともとは、会社から小一時間で片道通える場所に住んでいたが、住んでいたアパートが子供不可ということで今後も考えて戸建てを購入し引っ越しをした。
しかし盲点だったのは片道が二時間もかかるということ。往復四時間だ。なかなかの時間である。
しかし、育休中からテレワークを推し進めていた会社ということもあり、コロナがまだまだ猛威を奮っていたこともあり、出社は最低週一回で住んでいた。
在宅勤務中でも、娘が熱を出したりすることもあり、預けて一時間後やもうすぐで迎えにいくという一時間前など、お迎えにいかなければならないシーンも多々あったが、テレワークということで、すぐに迎えにいくことができた。
もしもこれが普通に出社していたのであれば、どう頑張っても迎えには二時間かかる。保育園は最悪閉まっている。実家は県外の奥地の田舎なので、絶対に代行はできない。
テレワークで、よかった。本当に。
暗黙の了解も許されている、気がする
大きな声では言えないが、周りも言葉にしないだけでやっていることがある。
それは家庭保育だ。
保育園からのお呼び出しがあると、家庭保育をしなければならない。他がどうかは分からないが、私か預けている保育園は、もしも熱を出すと24時間以上熱がない状態が確認できないと登園させてくれない。つまり、翌日は強制的に家庭保育となる。
まだまだ遊びたい、元気な盛りの子供だ。まともに家で寝ていてくれることはまずないし、不思議なことだが保育園で熱が高くても家に帰ってくるとスッと下がっているのだ。もう意図的に熱を出しているとしか思えない。それはまた別の話だが、テレワークであればある程度の家庭保育も許容されている。(気がする)
みんなこれは暗黙の了解となっている気がする。
というのは、テレビ会議中に子供の声やらおもちゃの音やら楽しげな音が聞こえてくるからだ。でもそこを敢えて指摘したりはしない。なぜならば、きっとみんな同じような境遇にいるからだ。かく言う私も、同じように内緒で家庭保育をしたことがあるからだ。同じ痛みを分け合うもの同士であれば、傷に刷り込むのは塩ではなく思いやりでいたい。
子供の体調不良はよくぶり返す。そのために付与されている有給と言われればそれまでであるが、休みすぎて仕事がはかどらなくなったり、期限に間に合わなかったり。懸念事項は湧き水の如く沸いてくる。無いとは思うが感覚的に、休みすぎると評価に影響するような気さえする。家族のために働いているのに、家族が原因で働けなくなるのは、本当に本末転倒である。
それもあって、日本人のよくも悪くも白黒はっきりさせない暗黙の了解となった家庭保育と言う最悪の選択肢も選べるようになった。
もちろん、一時保育や病児保育も選択肢と持っている。しかし、持っているだけなのが実情だ。このご時世柄、当日にいきなり受け入れてくれるところは多くない。それに「熱を出している」ということだけでも、一大事である。どんなに頑張っても、受け入れられないと分かっているのに、一時保育や病児保育に電話するのは糠に釘、暖簾に腕押しだ。それであれば、家庭保育が一番有力的なカードになるのは必然だ。日本が、そうしたのだから。
同じことをしているのに給与は同じ
テレワークのおかげで、フル出勤が叶い、給与も満額でいただくことができた。これまでと同じ仕事をしているのにも関わらず、給与が同じだなんて本当に奇跡に近いものを感じる。
テレワークでのデメリット(コミュニケーションが取りにくい)なども感じてはいるが、それを差し引いてもメリットしかない。裁量が与えられた中で、やることをやっていれば文句は言われない。付き合いで会社に残ることもない。自分が居心地がいい家という環境で、くつろぎながら仕事ができる。
たんなに頑張っていた時代が馬鹿馬鹿しくも思える。
総じて私にはメリットばかりのテレワーク。
同じような境遇の方にもぜひ浸透して欲しい。
しかし、テレワークが広まってもなお問題はある。
私の会社でも最初は正社員からテレワークが導入され、契約社員や派遣社員には権限がなかった。このご時世もあり、拡大されたがもしそうでなければ、まだ制度が整っておらず、契約社員や派遣社員の不満も溜まり続けていただろう。わが社では社員の半数以上を非正規社員が占める。仕事の根幹を担っているのは非正規社員だ。しかし、正社員は家でのうのうと仕事をし、非正規社員は満員電車で日々の労働を強いられる。労働格差も浮き彫りになっていると思うが、ここではこの話が議論ではない。
さらに言えば、わが社で体調不良やメンタルでダウンするひとが劇的に減ったのは、テレワークが本格的に導入されていたからだそうだ。無駄な残業もなくなり、付き合いで心が疲弊することもなくなり、軋轢から解放された社員は羽を伸ばして仕事ができる。自分の心を守りながら。
最後に
テレワーク、よくも悪くももっと広がって欲しい。
まだ多くの課題を抱えてはいるが、そこは企業努力でカバーして欲しい。
恩恵を受けられる人は必ずいるから。
もっと広まりますように。